平沼百合先生 × 中川信男 「ほんとうの時代が始まったから」

オステオパシー手技療法家が伝える原発事故のその後

千葉県柏市のホットスポットでの放射線量測定を行いました

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放射線対策だけではない、3.11を境とする生き方。

平沼百合先生
京都出身。高卒後、留学のため渡米。ハワイ大学を経て、イースタン・オレゴン州立大学卒業。 さらに、ミズーリ州のカークスビル・オステオパシー医科大学卒業後、オハイオ州で1年のインターンシップ、 レジデンシーを経て米国オステオパシー協会公認のオステオパシー手技療法専門家になる。現在はオレゴン州ポートランド市で開業中。 専門は、パーカッション・ハンマー、頭蓋オステオパシー、筋膜リリース、カウンターストレインなどのテクニックを使用したオステオパシー手技療法。

オステオパシーとは

中川

今日は、アメリカでオステオパシーの医師として活動をされていらっしゃる、平沼百合先生をお迎えしております。日本の皆さんはおそらく、オステオパシーというものは何かご存じない方も多いかと思いますので、そのことからご説明いただいてもよろしいでしょうか。

平沼先生

アメリカでは医師の学位というのに2種類ありまして、MD(Medical Doctor)はアロパシー(Allopathy)といういわゆる普通の医学を勉強します。もう一つがDO(Doctor of Osteopathy)と言って、これがオステオパシーの医師です。医学部もオステオパシー医科大学というのがありまして、全く同等の学位なんです。しかしそれはアメリカだけで、ほかの国でもオステオパシーの医者はいますし、日本にも学校がありますけれども、その人たちは医者としてのライセンスがなくて、オステオパシー独特のオステオパシー手技療法しかできません。

オステオパシーを元々始めたのは、アンドリュー・テイラー・スティル(Dr. Andrew Taylor Still,1828-1917)というMDです。ドクター・スティルは、1880年代後半、子供四人を脳膜炎や肺炎で亡くされ、そのことで医学での限界を感じて、このオステオパシーを始められたんです。

オステオパシーの概念には三つありまして、一つ目は体というのは魂と心と肉体の一つの単位であるということ。二つ目が、体にはいわゆる自然治癒力が備わっていて、自分で自分のことを防御して治していくことができるということ。三つ目が、構造と機能というのは相互関係があるということなんです。

それに基づいて発達したのが、Osteopathic Manipulation(オステオパシック・マニピュレイション)というもので、オステオパシー手技療法と訳されています。

日本では学校が専門学校扱いで国家試験などはありませんが、日本オステオパシー連合が独自の認定制度を行っています。

平沼先生とオステオパシー

中川

平沼先生は、わざわざ米国でオステオパシーの医師の資格を取って開業されているわけですが、何かきっかけがあったんでしょうか。

平沼先生

実は私の父は開業医で、私も何となく医学部へ行くのだろうと思っていたのですが、家庭の事情があって、日本ではなくハワイ大学の医学部へ行くことになったんです。
アメリカでの医学部は大学院扱いで、大学時代は、卒業に必要な教養学科などの単位を取りつつ、医学部に願書を出すための必修科目と、MCATという医学部用のセンター試験のようなものの勉強をします。実際に大学に行ってから調べたら、ハワイ大学のような州立大学の医学部は、その州の住民を優先するため、留学生だった私が入れる可能性が低いと分かりました。

そこで私立の医学部に行こうかと考えたのですが、あまりにも学校数が多くて途方にくれているときに、Osteopathic Medicineと言う、聞いたことがない言葉が目に入ったんです。その頃、New Ageの考えが流行っていて、私もホリスティックと言う言葉は知っていたので、オステオパシーについて非常に興味を持ちました。当時は、全米にオステオパシー医科大学が15校しかなく、ほとんどが州立大学だったので自動的に選択肢が狭まり、これはいいんじゃないかと思いました。

でも、実際に学校が始まるまで、オステオパシー手技療法がどういうものなのか、全く知らなかったんです。今から考えると無謀だったようにも思えますが、良く言えば自然の流れに身を任せていたと言う感じでしたね。そして入った学校が、ドクター・スティルが始めた、最初にできたオステオパシー医科大学だったんです。


オステオパシー医科大学では、普通の医学教育と、さらにオステオパシー手技療法を勉強します。アメリカの医学部では、専門に入るのは卒業後のインターンシップやレジデンシーの段階なので、オステオパシー医学生は全員、オステオパシー手技療法の教育も受けます。その後各々希望の専門分野に進むのですが、私が専門に選んだのはオステオパシー手技療法です。

オステオパシーの医師は、医学部での教育の時に、オステオパシー手技療法のクラスでお互いに練習し合うので、触診の機会がMDよりも多いと思います。また、オステオパシーの概念では、怪我や病気の部分だけでなく、その人の全体を診るように教えられます。ということは、体の中で起こっていることだけではなく、その人の家族や社会における要素も考慮しないといけないですよね。やはり、体を、心や精神から切り離して考えられないということです。

2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震

中川

平沼先生ご自身も、日本で地震が起きているというニュースを受け、大変ナーバスになられたとお聞きしているのですが、そのときはどんなお気持ちだったんでしょうか。

平沼先生

地震があったのは日本で3月11日の午後、アメリカでは3月10日の夜でした。ちょうど寝る前にメールチェックをしたら、日本の地震を伝えるCNNの速報メールが入って、急いで日本のニュースを見たんです。ただ最初は、津波警報は出ていましたが、まだ状況がよく分からなかったでしょう。

そのまま寝てしまって、朝のニュースを見たらえらいことになっている。もうそのときは、びっくりしてショック状態でした。USTREAMでNHKを視ることができると聞いたので視始めて、ずっと目を離せなくて。それでもまだ、自分自身にそんなに影響があるとは思っていませんでした。

しかし原子力発電所が危なくなってきた。こちらの友達に「ヨウ素、いるの」とか聞かれましたけど、医学部でも「原発に事故があったらヨウ素を飲みましょう」とかいうことは習わないんですよ。放射線科でないとそういうことは知らないと思うのですが、私も本当に知識がなかったんです。

ちょうど同じ専門のアメリカ人の医師が、ヨウ素の摂り方について、彼女が信頼する医師が発信した情報を回してくれたんです。彼女はニューヨークのマンハッタンに住んでいるから同時テロのときもそこにいて、「あの時も政府はいろいろなことを言ってくれなかったから、あなたも日本政府がきちんと言うと思わないほうがいいわよ」と言われました。

震災による心身の変化

平沼先生

私は、普段から週に4-5回、ヨガのクラスに行きます。こちらの3月11日には、こんな時こそヨガに行かなければだめだと思い、その日は割と普通に動けました。しかし12日には、原発が段々危ない状況になっているのが分かってきたので、原子力資料情報室のビデオなどを視て、自分で情報収集を始め、13日には、ヨガに行くよりもビデオを視る選択をして、パソコンに四六時中張り付いていました。

14日の朝には(日本時間の14日深夜)、水素爆発が起こったこともあり、さらに情報収集をしました。USTREAMで画像を見すぎたショックからだったのかも知れませんが、ちょうど15歳の息子が高熱を出しており、仕事をキャンセルして家にいたため、一日中ニュースや原子力資料情報室のビデオなどを視ていました。それでも、体を動かさなければいけないと思い、14日の夕方にもヨガに行きました。

14日の夜(日本時間の15日早朝)に再び水素爆発が起こった頃には、情報収集を充分に済ましていたため、非常な恐怖心を感じ始めていました。“レスキューレメディ”や、他のホメオパシーのレメディを使って、何とか家事はこなしていましたが、食事を取る気にもなれず、心臓がドキドキして、ちゃんと眠れず、家から出るのが怖くなりました。
15日には、1人だけ治療の予約が入っていたのですが、仕事場へ向かう運転中も、仕事場に着いてからも、心臓のドキドキが止まらず、気を失うのではないかと思いました。“レスキューレメディ”やホメオパシーの自分用のレメディを飲み、何とか仕事をこなしてまっすぐ家に戻り、USTREAMのNHKニュースに張り付いていました。
翌日16日は水曜日で、いつもなら一番お気に入りのヨガの先生のクラスに行く日なのですが、どうしても体が動かず、家から出られませんでした。そしてまたUSTREAMばかり観ていました。

17日には、これではダメだと思い、無理にヨガのクラスに行ったのですが、着くなり気分が悪くなり、帰ろうかと思ったくらいでした。しかし運転できるかも疑問だったので、とにかく仰向けになり、深くリラックスできるポーズを取りました。というより、座っている気力も出なかったので、その姿勢にしかなれなかったのです。最悪の場合ずっとこの姿勢でいてもいいので、とにかくこの場所にいようと思いました。

その頃、どのヨガのクラスでも、最初の短い瞑想の時間に、日本に向けて愛とエネルギーを送っていたのですが、私が日本人だと知っているヨガの先生は、その日は特にそれをクラスのみんなに説明して、日本へ、そして私へ向けてエネルギーを送りましょう、と言ってくれました。5-10分の瞑想の時間が過ぎると、ちょっと座れる気がしてきて、そして徐々に、体を動かせるようになってきました。クラスが終わった頃には、気持ちも落ち着き、問題なく運転して帰宅できたのです。

オステオパシーの考えでは、ショックというのは横隔膜にいくと言われます。ショックを受けた人というのは大抵、横隔膜がきちんと動いていません。横隔膜は非常に大切で、その動きによって体液が循環して、内臓がきちんと動くのです。だから、横隔膜の動きに滞りが出てくると、すべてが循環しなくなります。
震災直後は自分でも、ちゃんと横隔膜を使って呼吸ができてないのを感じていました。みぞおちの辺がぎゅっと締め付けられるような感じがするのは、ショックが横隔膜に入ってしまっているということです。私はそこから抜けられない状態だったのですが、ヨガのクラスに行って深い呼吸をすると、横隔膜が動き出し、体内の色々なシステムが循環し出したのを感じました。

今自分にできることを考える

平沼先生

ショックがだんだん抜けてきて、体の状態がましになってくると、放射線汚染の対策に目が向くようになっていきました。日本の報道ではまだそういうふうに言っていなかったのですが、自分の家族や友達が大丈夫かとか、そういう認識では済まない状況になったというのが分かったんですよね。
どう考えてもこれは日本だけの問題ではなく、そのうち世界にも広まると思っていました。でもまずは日本の汚染が強い印象だったので、日本のために何ができるんだろうと考えました。

中川

今までのお話をお聞きしていると、まず、無理矢理にでもヨガの教室に行って、皆さんで祈りを届けようとしたというのが最初の転機で、そのことによって横隔膜が動いたのか、まったくの不調だった体を動かすことができて、少し自分の中で力が湧いてきたと。
そのときに「今、何ができるだろう」ということを考えたという、このステップで平沼先生は立ち上がられたような印象です。

平沼先生

私は最悪の場合をいつも疑似体験してしまうんです。
だから今回も、最悪の状況まで頭の中に入れてしまったんですよね。
日本の多くの人たちは、最悪の状況が何かというのも知らされず、自分で探しに行かないと正確な情報もないので、そこまで想定できていないように思えます。

中川

私たちのお客さまは、以前から農薬や化学物質などを避けておられるような、特に意識の高い方々ですので、その最悪の場合を追体験してしまった方が多いと思います。私は、それが大きな問題になっているという認識をしています。

危機管理というのは最悪を想定して準備し、最終的には楽観的に受け止めていくということだと私は考えているのですが、追体験や不安の度合が大きく、いまだにそこから立ち直れていないお客さまも、おそらく多くいらっしゃるように思います。先生の場合は、自分が何とかしないと、というふうに考えられた後、どのように行動されたのでしょうか。

平沼先生

不思議なことに、「何ができるだろう」と考えた翌日の3月18日の朝、友人からのチェーンメールで放射線対策の情報が回って来ました。その一部がネイマン先生の情報だったのですが、ぱっと見て「これはいい情報だから、なんとかして日本に届けたい」と思ったんです。

私には医学知識もあるし日本語も分かるから、私にできるのはこれしかないと思って情報の翻訳を始めたのですが、それが前向きになれたきっかけだと思います。
前向きになろうとしていたときにできることが見つかったから、ネガティブな恐怖の場所からは完全に抜けることができました。

ネイマン先生

中川

平沼先生から見て、ネイマン先生はどのようなバックボーンをお持ちの方と認識されていますか。

平沼先生

ネイマン先生の情報が回ってきた時、私は彼女について、何をしている人かとか、どこにいる人かとか、何も知らなかったんです。翻訳の許可を得ようと思って連絡したら、「福島原発の作業員に、薬草混合液を届けたい」ということを言われて、何のことか全然分かっていなかったのですが、それでも使命感を感じて、まずそのお手伝いを始めました。

だから最初は、ネイマン先生が言いたいことを短い文章で送れるような形にして、原発と関連のあるいろいろなところに送ったのですが、まったく反応がありませんでした。結局、原発の作業員に届けるのは無理だということになって、これは方向を変えるしかないから、一般の人に情報を広めようということで、私の元々の目的であった翻訳に戻ることになりました。


ネイマン先生が書いたものを翻訳しだしてから、メールで個人的なお話もするようになり、彼女が非常に変わった経歴の持ち主であることが分かってきました。

ネイマン先生は非常に優秀な方で、飛び級をして16歳で大学へ行かれ、大学ではアジア研究、大学院では開発経済を専攻されています。大学を卒業した後は、その頃勃発したベトナム戦争に激怒して、戦争を止めたくて国務省に入り、ベトナムに派遣されました。その後インドに大使として派遣されて、そこで亡命してきていたチベットの人たちと親交を持ってから、彼女自身の意識が変わったんです。

ネイマン先生はそこから、従来の考え方の世界を去っていろいろな探索に行き、40年以上アーユルヴェーダを独自で研究されていますし、今は薬草の研究をされています。だから普通の医者とか研究者とかとはまったく違い、全然型にはまらない方なんです。すごい知識の持ち主で、その人の体の細胞に一番いいのは何か、というふうに考えていくんですよ。

また、大学時代から何度も日本に行ったことがあり、日本にすごく思い入れがあって、その上、人類愛のような器の大きな気持ちをお持ちです。だから、今回の出来事を何とかしたいし、できる限りのことはしたい、と思われているのです。

放射線対策について

中川

ネイマン先生の日本人に対するアドバイスで、ベースになっているような大きなポイントがあれば、お教えいただけますか。

平沼先生

ネイマン先生のアドバイスはオステオパシーの概念にも通じるんですけれども、ポイントとしては、人間には自然治癒力があり、放射線でのダメージといっても極度の放射線でない限り、ほかの病気と同じような対処をしていけばいいということです。

ネイマン先生は、長い間いろいろなところで、放射線防護作用のある薬草について研究をされています。ドイツで暗視野顕微鏡を使った研究をされていたときには、チェルノブイリの原発事故で被害を受けた人たちの治療や、その事故のデータを研究されました。ネイマン先生の考えが他の方達と違うのは、サプリメントとか自然でない物質ではなくて、もっと自然のもの、食べ物とか薬草とかで体を支えていくことを信じられているところです。


放射線対策についてのお話を要約しますと、まず、体内の臓器に自然物質を与えて、体が放射線物質を吸収しないようにするということです。放射性物質には、非放射性物質で構造が似ているものがあり、放射性ヨウ素なら非放射性ヨウ素、放射性セシウムならカリウム、放射性ストロンチウムならカルシウムです。体内に非放射性物質が充分にあれば、体が放射性物質を吸収しにくくなります。放射性物質が体内に入っても、構造が似ている非放射性物質を摂取すれば、放射性物質の排泄を促すこともできます。

そして次に、放射線物質が体内で作るフリーラジカルの反応を止めることが大切です。これには、抗酸化作用のある栄養素や薬用ハーブが効果を発揮します。放射線防護作用のある薬草ハーブというのは、そのほとんどが、抗酸化作用が非常に強いのです。これらのハーブは、放射線によって引き起こされる、遺伝子レベルでのダメージを防ぐ作用もあります。

フリーラジカル反応が起こり始めると、脂質過酸化ということが細胞レベルで起こります。細胞壁にある脂肪分がダメージを受け、細胞自体が破壊されていきます。だから、抗酸化作用のある物質の他に、優れた脂肪分を体に与える事も大切です。ネイマン先生が特に勧められているオイルは、研究でも放射線防護作用があると実証されています。

中川

私が特に注目しているのは、発酵食品に代表されるような、微生物を用いた技術です。これは日本にもいろいろなものがあり、抗酸化作用のある食品類としては、例えば、味噌や納豆、醤油などです。マクロビオティックにおいてこれらの食品は、放射線が高いレベルのときにも役に立つと言われています。
陰陽ということを抜きにしても、生物発酵のエネルギーや、その吸収のよさという部分で注目に値すると思っています。

ネイマン先生の情報の中にもありましたけれど、スプラウツも注目ですね。
もやしなど成長の酵素が働いているものには、すごく抗酸化作用があって、放射線にもいいと言われていますよね。実は弊社では、スプラウツをジュースにして飲むことの効能を、日本にどんどんご紹介していこうということで、麦若葉の種の輸入などを手掛け始めたところなんです。

平沼先生

ネイマン先生は40ほどのサイトを運営されているのですが、そのうちのひとつは自然造園についてのサイトで、そこでスプラウツを紹介されたことがあります。スプラウツは家でも簡単に栽培できますし、土壌汚染にも影響されません。私もまだ試していないですが、特にフェヌグリークというもののスプラウツが、抗がんの効果も強く、すごくいいようです。

情報の生かし方

中川

スプラウツについて日本人にも分かりやすいのは、玄米を発芽させるという方法かもしれません。玄米を発芽させて火を通して食べると、非常に強いデトックス作用があると言われています。

ネイマン先生と平沼先生から頂いた情報を、いかに大きく解釈して、今自分の目の前にあるものでやっていくかということが、この情報を受ける日本人にとって必要なことなのではないかと私は思っています。

平沼先生

私たちは基本的な情報を提供するので、日本の皆さんには、日本で手に入るもので、自分ができることをやっていただくのが一番だと思っています。絶対このようにしなければだめというのではなくて、情報提供が目的です。

実は食生活のところを翻訳するときにかなり悩んだんです。ネイマン先生の情報の日本語版というのは、全部翻訳が終わってからアップロードするはずだったんですけど、だんだん情報が多くなってきたので、とりあえずできているところまでアップロードすることになりました。その時点ではまだ、ネイマン先生が食生活の方に取りかかれていなかったんです。

ップされた翻訳版を客観的に見たときに、やはり皆さんが一番知りたいのは、毎日の食生活についてではないかと思いました。だからネイマン先生と相談して、日本人の食生活を知っている私が、食生活についての情報を構成し始めたのですが、ちょっと行き詰ってしまったのです。

たとえば、ネイマン先生お勧めの食用油でも、日本では売っていような、売っていてもすごく高いもので、普通には買えないものだったりしたんです。けれどもうそこで区切りを付けて、私の仕事はネイマン先生の情報を訳すことだから、日本で買えるかどうかというようなことは気にしないことにしました。


京都に私の親友がいるのですが、彼女がずっと、私の書いたものを日本人にも分かるように、きちんと修正してくれているんですよ。彼女にも相談したら、「日本人は民族としてすごく好奇心が旺盛で、自分が興味のあることというのはとことんまで突き止めて入手しようとしたりするから、そこは心配しなくていいよ。ほかから入ってくる普通の情報とは違うような情報が入ってきたら、それで癒される人もいるからそれでいいんじゃない」と言われました。

だからもうネイマン先生に忠実に情報提供しようと思っているので、突拍子のないことも入っているかもしれません。それでも彼女が言っていることだからと思って訳しました。

日本人は極端に走りやすい?

中川

手元にあるものを、上手にイメージを膨らませながらどう使うかということの大切さを、今のお話から随分お聞きすることができたと思います。

先生がおっしゃっているように、日本で入手できるものというのは本当にすごく少なくて、弊社が以前から取り扱いを進めているもので、アーモンドミルクという製品があります。これはヨーロッパやアメリカには普通にあるのに、日本にはどこにもなくて、これを一つ輸入するだけでも、前例がないということでものすごく大変なんです。

アーモンドミルクは原発事故に関係なく進めていたものですが、これからは乳製品が汚染されていく状況が出てくると思います。ところが日本には、それに対するオルタナティブが豆乳しかなくて、けれども豆乳ばかり飲みますとこれまた、大豆を原因とするアレルギーになってしまうんですね。

弊社はその情報を訳出し、輸入許可を取り、日本に輸入できるように準備するために、2年という月日をかけて、やっと試験輸入までたどり着きつつあります。

平沼先生

私もアレルギーテストで陽性が出たので乳製品をやめまして、アーモンドミルクを飲んでいるので、日本でも販売されるとなると個人的にもうれしいです。豆乳のような発酵されていない大豆製品は、アンチニュートリエント(Anti-nutrient)といって、健康に良くないものがたくさん入っているんですよね。

中川

これは牛乳も同じなんですけれども、皆さん健康にいいということを勘違いされていますよね。品質がどうであるとか、どの程度摂るのがいいのかとか、そういうことにフォーカスがいかないんですね。体にいいと言われるとガブガブ飲んでしまって、非常に困った問題になります。どうしても日本人というのは、健康情報などでも極端に走る傾向があります。

放射線対策に関しても、ゼオライトがいいといわれていますが、これもヨーロッパで調べますと、1ユーロぐらいのものから100ユーロぐらいのものまで、価格も質も本当にピンキリなんですね。悪い業者さんもいっぱいいます。ところが、ゼオライトがいいとなるとみんな一気に走り出して、インターネット上でも物がなくなってしまうわけです。

これを読んでくださっている皆さんには、ぜひ気を付けていただきたいのですが、「ネイマン先生のハーブを入手するためにはどうしたらいいんだ」ということで極端に走られても、なかなかすぐには提供できないと思います。私たちは、事前にいただいている情報を元にして、日本でできるものの準備をこつこつ進めていきたいと思っています。

弊社は今回の地震以降、利益は脇に置いています。水を無償でお送りするとか、利益以上の被災地支援をやっていますし、そういう面でも役に立つようにお手伝いできればと思っています。

自己責任

中川

先ほども少しお話ししましたけれども、日本の政府というのはとにかく前例を重視するのです。このことが今回の事故をより複雑に難しくしている原因だと私は考えています。
その実態は、USTREAMで飯舘村から報告したとおりです。平沼先生がアメリカから見て、日本社会の構造ということに関して、どんなことを日々考えておられるかお聞きかせ下さい。

平沼先生

最初の頃から、政府は何を考えているんだろうと思います。対応が甘いというか、情報を出さないですよね。原発周辺地域の避難にしても、チェルノブイリの事故から考えても、もう帰れないと思ってもらわないとだめなぐらいなのに、必要な情報がなかったために、今、問題になっているでしょう。

毎日の放射線レベルのレポートにしても、私も毎日チェックしていて、プレマさんも独自に測定したものをUSTREAMで中継されていますが、政府の発表より数値が高いわけです。政府は一体どこで何を量っているんだろうと思いますが、そういう詳細を明るみに出してくれないですよね。

中川

放射線レベルに関しては、測定器の特性が関係ありまして、私の使っている測定器は、セシウム137相当という、やや高めに計算をするガイガーカウンターで、核子を分別できないんですね。そういう機種なので数値が高めに出るのですが、情報が操作されているというのは、実際に測定を行ってみたりして感じます。
数字を変えるというよりは、積算放射線量の積算のスタートの日を変えるとか、14日から線量が上がっているにもかかわらず、積算の数字は17日から積算しているとかですね。このことは、YouTubeにあげている、放射線対策のインタビュー中でもお話ししています。

100マイクロシーベルト以上になった地域のデータは出さないよう、政府官邸が文部科学省に指示をしていたというようなニュースもありましたよね。
福島でも、地域によっていろいろな数字が出ているということは私たちも確認していますので、決して一概に福島県全体が危ないとは言わないつもりですが、ディテールの部分が非常にあいまいにされているということは感じます。

平沼先生

日本人も国民性なのか、「政府がなんとかしてくれるんじゃないか」というふうに、政府にお伺いを立てるようなところがあると思うんですよ。「自分で何とかしなきゃ」というところがないというか、「政府が何とかしろ」という感じがあり、それは以前にも思ったことがあります。

いつでしたか、東北の方で、すごい雪で道路が閉鎖されてしまったことがありましたよね。そのときの渋滞で一日ぐらい動けなかった人が、「物資も何も来ない」と怒っていたんですけど、アメリカだと冬の山道に行くときは、何かあったときのために、飲み物にしても食べ物にしても自分で余分に持っていくのは当たり前です。

中川

だからここで政府を批判しても、それこそ「雪で閉ざされてしまったのに、どうして誰も来てくれないんだ」と言うのと同じになってしまいますよね。
今まで日本人は、戦争から遠ざかり、日々生活の心配をする必要もなく、割と恵まれた環境にいたのだと思うんです。

ただ、そういう時代はもう終わりつつあって、このまま政府が無制限に補償していったとすれば、日本国財政の破綻のスイッチを入れるだけです。
もちろん今回の原発事故については、補償をするのは当然の道理だと思うんですけど、それに国家破産のリスクが伴うということは、これを読んでいる皆さんには理解していただきたいと私は思っているんです。

平沼先生

そうですね。私は日本政府のやっていることをずっと見ていて、「それでは十分じゃないでしょ」と思うんですけど、それしかできない立場にいるんでしょうし、多分、アメリカ政府もその段になると同じことをすると思います。やはり今はもう誰を責めるとかの段階ではないので、いつになったら昔の生活に戻れるかとか、そういうふうに思っていたら前に進めないんですよね。

パラダイムの変化

中川

実は今、すばらしいチャンスがいっぱいあるわけです。そのことにものすごく好奇心を持っていて、こういう事態に好奇心というと非難されるかもしれませんが、そう思うと、奇跡がやたらに起きるんです。今回福島へ行ったときも、今も、あり得ないような不思議なご縁に恵まれています。

弊社は創業して11年になりますが、今までは、旧来のパラダイムが変わらない限り、私たちの言っていることはなかなか理解していただけないという思いがありました。今は、それが劇的に変わったという実感があります。大きく選別が働いているというふうにも思います。

復興がすべてで、破壊されたものを元通り以上のものにしないといけない、という人たちもいるでしょう。けれども、復興という言葉が今ほどプレッシャーなときはないと、思っているんです。
原発の問題にしても、次元を変えないと、今までと同じやり方を復元しようとしても、それはもう正直無理なんですよね。

平沼先生

私は日本に住んでいないからそんなことが言えるのだと思われるかもしれませんが、今までの生活に無理があったというのを皆さんが分からないとだめだし、今までの生活の無意味さというのも分からないとだめだと思います。これからは自然淘汰が働いて、なくなっていくものはなくなっていくと思っているんです。

そこまで意識が開けたのは私も最近です。そういう次元に行ける人、その波動を感じられる人でないと、これからはやっていけないと思うのですが、大半の人はそうではないので、難しいところですよね。

でもおそらく、プレマさんのお客さまというのはもうそこに行き始めている人のはずです。だからその人たちに向けてこの情報が発信されて、せめてその人たちだけでも理解し始めることができたら、周りの人も、変われる人は変わっていくと思います。

これは自分たちの人生が終わるまでなんとかなる問題ではありません。もっと長い目でいろいろなことを見ないといけないですし、今さえなんとかなればいいという問題でもありません。だから、個人的ないざこざなんかはもうどうでもいいと思うんです。
人類がどうなるか分からないようなときなのに、あの人がああ言った、この人がこう言ったとか言っている場合じゃない。被災地だけでなく日本のすべての人に、それをもっと自覚してほしいのですが、どこか他人事のようで、何とかならないかと思っています。

中川

だから私たちは福島に行こうとしているんです。それは新しいパラダイムを作るために行くのであって、福島が元どおりになるために行くのではないんです。敢えて今このタイミングで福島にブランチを作るということの重要性を、ご理解いただける方にはご理解いただけるでしょうし、クレイジーだと思う方はクレイジーだと思うので、それはそれでかまいません。

こういうときに、また身近な問題がいろいろと起きていまして、これを読まれる皆さんや、平沼先生にも、おそらくプライベートな部分で何か大きな変化がおありだと思うんですね。気持ちの底の部分から全く違う発見をしていくというようなプロセスとか、今までうまくいっていた人間関係が実は打算や妥協によるものだったとか、今は一気にそういうことが噴き出してきているときだと私は思っていて、ここに逆らわないことがとても大切なのではないかと思います。

平沼先生

個人的には、震災以前から私もそういう過渡期にいたので、真実ではないものはもういらないと思っています。私はニューエイジの方に傾倒していたので、いろいろな情報が入ってくるのですが、今はそのタイミングといい、シンクロニシティーがすごく高くなっているのを実感しています。

最初にネイマン先生と、福島の作業員に薬草混合液を送りたいという話を進めていたときには、こんなにお役所の壁が厚いとは思っていなくて、「もっとグラスルーツ的な人にやってほしいんだけど」と彼女に言われて、ふと中川さんのことが頭に浮かんだんです。そのときは接点がまだなかったんですが、福島入りされるというメールをいただいて、「これは連絡しなきゃいけない」と思って連絡させていただいたんです。

中川

インターネットで商売をやっているような人たちは、およそアメリカ発のマーケティングやPRを勉強しているのですが、この危機下においてはそういうものが全部統合されて、最も必要な人に最も必要なタイミングで最も必要な情報がきちんと行くようになっているということを信頼することからしか始まらないですね。

私たちが発信していくいろいろな情報も、そこに通じる部分がありまして、関係ない人にはそれでいいと割り切れるかということが大切です。これは同時多発的に起こっていることで、私たちだけが変わったことをやっているわけではありません。今は既存の権威とか組織というものが怒涛のごとく崩壊していて、特に巨大組織は、政府もNGOも、NPOでも、今回のような通常でない状態においてはほとんど機能し得ないということをリアルに実感しています。

平沼先生

もう機能していないものはなくなっていくんですよね。私も偉そうなことは言えないですけれど、それをそのまま受け入れています。だから私は、必要とする人がこの情報を得て、何かできればいいと思っています。その情報を消化できるところにいなかったら、読んでもらえなくていいと、割り切っています。

日本でこういうことを分かっている人は他にもいると思うんですが、接点がないだけだと思うんです。ネイマン先生は日本語サイトには私が載せたいことを載せていいと言ってくださっています。彼女も私も、自分の情報でなくてもみんなの役に立てば良いというふうに、そこは全然こだわっていません。

地に足を付けて生きていく

中川

すでに関係のある皆さんや、今後関係のある皆さんにも、ネイマン先生や平沼先生が出しておられる情報をいろいろな形でお伝えしていきたいと思っています。平沼先生と私のご縁も、全体として出てきましたよね。

平沼先生

そうですね。元々私は、6年ぐらい前に精神的ストレスから体調を崩して、玄米のおかゆしか食べられなかった時期があったんです。ちょうど患者さんの一人がマクロビオティックをやっている人で、いろいろ教えてもらって、日本に帰ったときに梅干しとか買おうとして行き着いたのが、プレマさんだったんですよ。結局マクロビオティックは続けなかったのですが、マクロビオティックの食品というのは安心して買えるような気がして、それからずっと、毎年帰国する度にいろいろ買っています。

だから、プレマさんの姿勢もずっと見てきましたが、必要のないものは買わないでくださいなんて、他に同じような商売をしている会社はないじゃないですか。商売にならないように思えますが、それが本当のことで、売ればいいというものではありませんよね。京都の会社であるということにも、親近感が湧きます。

中川

京都人はこういうときに結構パワフルなんですよ。

平沼先生

私の友人も京都人で、ピアニストなんですけど、結構シビアな目で見ています。彼女もいろいろ経験してきた人で、ドイツ人のピアノの先生についていたこともあって、日本人としては変わった考え方をするんです。

とにかく京都は、東京みたいに政府に支配されている場所ではないし、知識人も多いから、原子力についてもシンポジウムとか開いて知識を広めようとしていると、だから京都は違うと、友人もいつも言っています。それは私もすごく思うし、京都出身で良かったと思うんです。多分、あまり東京からの影響とかがないからですよね。

中川

メディアに対する信頼も薄いです。今回もメディアの方からいろいろコンタクトがあったんですけども、彼らはいかにビジュアル的に素敵なものを撮るかということに注力していて、そのシナリオ通りにしてくれる人を期待しますから、民衆の生の声、京都風にいうと「町衆の声」というものは、あまり眼中にないんですね。私たちのようにいろいろなことをやっている京都人や、京都で育ってアメリカとかドイツとかに行かれたような方は、奔放さが彼らの理解を超えているんです。

平沼先生

今回、政府の対応とか、報道の情報操作とか、いろいろなことに幻滅していて、何が悪で何が善なのか分からないのですが、そういうことももう関係ないと思っています。 どうして対応が遅れたのかとか、本当は何があったのかとか、今更考えても仕方ありません。

できることといったら日々生きていくことしかないですし、そうするためにはどうしたらいいかということを考えないと。
ということはやはり、人間の根源に戻ることになって、本当に体にいいことをしていかないといけません。

不安に踊らされずに、自分の健康を保っていくことが一番で、英語で「Be grounded」と言うんですけれども、日本語で言うところの「地に足をつけて」自分がしっかり生きていくことしかできないのです。

中川

ありがとうございました。

平沼先生

ありがとうございました。

インタビューのなかでも触れられましたが、平沼先生は、福島第一原発の事故後、自然療法を用いた放射線汚染除去対策についての情報を翻訳されました。この情報は、40年以上、自然・代替療法に携わり、放射線防護作用の認められるハーブを研究してきた、アメリカのIngrid Naiman(イングリッド・ネイマン)名誉医学博士によるものです。
平沼先生は、ネイマン博士が立ち上げた、アーユルヴェータに基づく放射線汚染対策情報サイトのなかで、日本に住む私たちにとって、実践的で役立つであろうと思われる情報をまとめ、ネイマン博士の許可と指導のもと翻訳されました。