オータンの「木の動物たち」
それぞれの木材の特性を活かしてつくられた木のおもちゃが子どもたちの豊かな情緒をはぐくみます
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2012年は辰年♪待望の「辰」登場です |
子どもたちがお父さんお母さんになったとき
あなたが示した愛情は、そのままのかたちで
新しい"いのち"に伝えられることでしょう。
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やさしい色調とやわらかな感触を持つ木材は、おもちゃの素材として最もすぐれたものでしょう。それぞれの木が持つ質感や量感は、生まれて初めて外界のものに触れる子どもたちの情緒をはぐくむのにふさわしい特性です。 「木を使うということは、年輪に潜んでいる数十年、数百年の呼吸を生かすということ」 何歳になっても、大人になってもその動物たちと対話ができる。やがて父となり母となった時にもふたたび、自分の子どもに伝えられる。親から子へ、子から孫へ…何代も伝え続けてほしい、やさしいぬくもりに満ちた木のおもちゃです。 |
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オータンと木の動物たち |
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オータンの「木の動物たち」との出会い |
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ブナ・ケヤキ・オークなどの広葉樹と、ローズウッド・黒檀などのカラーウッドを素材に、年輪の中に静かに眠っていた自然の美を、ひとつひとつ心を込めて取り出して形づくられたアトリエ・オータンの「木の動物たち」。手に取ると、木の温かさと豊かさが、ほのぼのと伝わってきます。
木の持っている質感、量感およびその組織構造の綾など、それらすべてが私たちの感性に対しておだやかな刺激を与えてくれます。それが「ぬくもり」、「やすらぎ」、「やさしさ」など、情緒を表現する言葉で置き換えられる特性となって、子どもの情緒をはぐくんでいくのに役立つのではないでしょうか。

サン・テグジュペリの童話『星の王子さま』の中で、ヘビがゾウを飲み込んでしまった絵を描いて大人たちに見せたところ、帽子の絵だと思う人ばかりだったという話があった。
遊びが幼児期の情緒形成に重要な役割を持っているのであれば、おもちゃとは発育途上にある子どもが持つ様々な機能の発達をうながす大切な媒体であるだけでなく、『情緒のゆりかご』のようなものといえます。それゆえに、このゆりかごにふさわしいおもちゃに用いられる材料の選択はとても重要なのです。
他の例としては、子どもの精神障害療法のひとつである箱庭療法があげられます。これは1メートル四方の枠の中に、小道具や人形、玩具を使って、子どもたちに想像のおもむくままにいろいろな場面を構築させることによって治療効果を判断するというものです。
写真のヒヨコは、くちばしをシタン・コクタンあるいはローズウッドなど色のはっきりした唐木を用い、胴の部分の材種も変えました。子どもたちは遊びの中で、それらの木の名前、組織構造の違い、重さ、堅さの違いなどを自然に知ることになります。これにメンドリをくわえればニワトリの親子の会話が始まります。また同じ動物でも相似形のものをいくつか用意しておくことによって、家族を構成することができ、子どもたちの物語の世界は広がります。
ただ単に、おもちゃの材料として木を使うのではなく、木材等素材の特性と、おもちゃとしての機能を十分考慮しながら、適材適所に用いることが大切です。針葉樹よりも広葉樹のほうががおもちゃの材料としてすぐれているのは、材質そのものが針葉樹に比べてねばりがあり、割裂しにくいものが多く、また樹種によって材質が著しく異なるため、おもちゃの使用目的によってそれぞれ適切な材料を選択することができるからです。さらに、デザインや色彩という点からも、材色の異なる木の組み合わせが可能です。木は私たちが豊かな発想を持ち、ていねいに使えば、際限なくいろいろの楽しみを与えてくれる材料といえるでしょう。

木を科学することによって、それぞれの樹木の性質を解明し、そこからスギやケヤキ特有の樹形をしているのはなぜかという疑問に対する答えを引き出す。それが人間との様々なかかわりのなかで、シートンの動物記、ファーブルの昆虫記と同じ博物学の世界として、私の植物記となる。
洋の東西を問わず、人間は極端から極端に走るようで、なんとも厄介な生き物です。これからの21世紀は既存の宗教にも自然科学にもおもねることのできない時代になるはずです。私たちは長い歴史の試行錯誤の教訓として、「こころ」と「もの」を統合した統一的で根源的な物差しが必要であることを学んだはずです。これは、とりもなおさず本当の意味での"文化の時代"を作ることではないかと思っています。

私たちはいつの間にか西欧かぶれして西欧文明がすべてと思い込んでいるふしがある。このため、どこにでも西欧文明の時間軸を持ち込もうとする。西欧文明の亜流ですらこうであるから、本家本元はもっと露骨である。それぞれの国にはそれぞれの文明と文化の時間軸がある。この時間軸を基準にして考える必要があるのに、自分たちこそ選良の民と思っているのか、それとも押しつけがましい底抜けのお人よしなのか。
小学校5年のころ、父の本棚に並んでいたシートンの動物記を夢中になって読んだのが、私と動物たちとの最初の出会いである。その後、6年の国語の教科書で、中西悟堂がスズメを家の軒先で飼育した話を読んだとき、動物記の主人公たちが身近なものになった。父にせがんでスズメのひなを育てる中で、モコモコした羽毛に包まれた小さな命のぬくもりが、私の生涯の方向を決定してしまったようである。自然界のすべての動植物に興味をもち、これまでに色々の生き物との出会いを作ってきた。
木の動物たちは娘の要求がどんどんエスカレートしていく中で、ゾウ、キリン、カバと次から次へ増えていく。素人が木で動物玩具を作るのであるから、その作品たるや幼児が描くゾウと一緒である。しかし、子供にとって、鼻が長ければゾウに間違いないわけで、その方がむしろ、イメージを豊かに育てることができる。気がついてみると、娘の周りには木の動物たちがいっぱい溢れていた。
木の動物たちを中心としたオモチャの商標登録をする際、どのような名前にするかで悩んだ。そもそも、親父の情緒をわが子に伝えるために作りはじめた玩具であるから、その由来にふさわしい名前にしたかった。そのとき、次女の明子(さや子)がちょうど片言を話し始めていたときで、母親を「アータン」父親を「オータン」と呼んでいることを思い出した。これを使わせてもらおうと、とっさのひらめきであった。親父の情緒の表現にぴったりだと思えた。

息子の亮介が、話し言葉をようやく覚えだした二歳のころである。朝早くから起きだして、「これ何」「あれ何」とそれはうるさいほど質問する。ちょうどフキノトウが庭のあちこちに芽生えだしたころのこと。これに興味を持ったのか、私を庭に引っぱり出しては、フキノトウを指さし「これ何」「フキノトウ」、「あれ何」「フ・キ・ノ・ト・ウ」。いくつも出ているのを見つけだしては、片っ端から聞く。
































