ブルーアガベシロップがさらにおいしくなる、井沢敬さんインタビュー

ロハスの聖地ボールダーから、からだと地球にやさしい代替糖の物語をお届けします

鉄平ブルーアガベシロップは、ステキな甘み&配慮ある栽培・製造プロセスで、みんなを幸せにしています。
グリーン、ロハスの本当の意味がわかり、シロップがもっとおいしくなるインタビュー

ロハスの聖地、ボールダー発

鉄平ブルーアガベシロップを世に送り出した井沢敬(いざわ・けい)さんは、異色の経歴をもつ人物です。世界有数の自動車会社で世界中を飛び回るエグゼクティブだった井沢さんは、人生後半戦で、オーガニックの名士が集うコロラド州ボールダー市に移住。一転して、健康で環境に優しいビジネスに関わるネットワークを構築しました。鉄平ブルーアガベシロップを取り扱う理由、グリーンとロハスの聖地ボールダーのライフスタイルなど、ここでは、人生と地球のためになる話をご紹介します。

弊社スタッフが聞く、井沢敬さんがブルーアガベと出会うまで

井沢 敬(いざわ・けい)
井沢 敬
(いざわ・けい)
鉄平オーガニクス社代表

慶応大学、ハーバード大学院卒。
JETRO、米国GM本社、オペル・ジャパン代表取締役社長
GMヨーロッパの商用車欧州販売担当ディレクター に籍を置き世界中を飛び回ったのち、鉄平オーガニクス社代表に。

著書:
『米国経済ハンドブック』(共著/東洋経済新報社)
『カリフォルニア』(共著/有斐閣)
『A Life in Aikido』(英訳本/講談社インターナショナル)

現在、合気道(鍛心塾)指導。合気道歴43年の6段。
コロラド大学アジア研究センターのアドバイザリー・ボードメンバー。

井沢敬と申します。この度は、鉄平ブルーアガベシロップにご興味をもっていただき、本当にありがとうございます。ここで自己紹介をさせていただくと、わたしは1949(昭和24)年に福岡に生まれ、外務省づとめの父の仕事の関係で、幼少のころは南米で過ごしました。1961年に日本に戻って、大学を出てジェトロ(日本貿易振興機構)に就職。そこで10年間勤めました。
わたしはもともと南米の仕事をしたかったのですが、入った段階で中国関係の調査をやり、それで大学に研修に行くことになり、ハーバード大学大学院に行きました。ハーバードでは国際関係論を学び、戻ってアメリカのワシントン関係の仕事を4年間ほど務めたあと、いざ駐在となると、メキシコに行くことになりました。スペイン語が話せるからだと思います。
それで、メキシコにいるときに、ゼネラル・モータース(以下GM)とトヨタがカリフォルニアで合弁をすることになり、GMが日本人をスカウトしたいとなったときに、わたしがその対象になりました。デトロイトに移り住んで、そこのGMで14年間奉職しました。巨額の投資案件など、かなり大きな仕事をあちらこちらで経験しています。

まずは自動車会社社長として、グリーンな活動を始めた

その後、GM在職当時の子会社であるオペルの仕事を担当することになり、ドイツのオペルに移り、日本の社長も経験しました。日本で、オペル社の販売を任されたのが90年代の初め。今ではオペルは日本市場から撤退してしまっているので、ご存知でない方も多いでしょうが、ヨーロッパでは量産メーカーとしてVWなどと肩を並べる大手企業です。しかし、日本では販売立ち上げが遅れていたので、数多くあるドイツ車の中で、買いたいクルマの一つではありませんでした。後発メーカーであり、認知度も低かったことからそのブランドイメージを改善するために、当時はまだ業界ではあまり脚光を浴びていなかった環境や安全性をアピールして販促することにしました。もちろん、本社でも環境問題を取り上げていたことを、日本に大きく紹介しようと目論みました。いろいろな活動をやりましたが、グリーンな活動に主眼を入れたのが90年代はじめでした。植樹活動、リサイクル、暖気運転をあまりやらないように勧めるキャンペーンですとか、安全と環境ということに関しては、相当力を入れました。

そのあとヨーロッパの商用車の総括担当として、ドイツに移りましたが、GMが社内的に混乱している状況で、日本ではせっかく大掛かりなことをやっていたのに後ろ向きな話ばっかりだったものですから、ストレスを非常に強く感じて、まさか住むことになるとは思わなかったボールダーに移住を決定して会社を辞職。ボールダーに来たのが15年前です。

ロハスの運動が始まって…

ボールダーの風景

ボールダーに移った後から、ロハスの運動がアメリカで始まりました。ポール・レイ博士という方がロハスの概念をうちたてられて、取材にも行きました。もともとライフスタイルがいいなと感じていたのですが、ロハスに染まることになりました。そうやってロハスに関係することをいくつかやるようになり、雑誌『ソトコト』に、毎月ボールダーの紹介記事を6年半近くにわたり書くことになりました。猛烈サラリーマンからライフスタイル評論家のようになるとは、昔を知っている人は信じられないでしょう。

もともと鬼のサラリーマンのような生活をしていましたので、「ロハス」など夢物語でした。やっと最近出てきた趣味らしきものは写真です。素人ですけど、以前は忙しすぎて風景を見る暇もなかった、ホテルから空港に会社、そういう生活だったのが、最近は努めて風景写真とか、まあ時間にゆとりを持たせ、鳥とか動物とか、撮るのが趣味になっています。食事にも気をつけるようになり、今ではローフードやベジタリアン的なもの真似もやっています。家内は、牧畜の盛んなアルゼンチンの人ですので、肉も欠かせないですが、赤身肉の消費は減り、同じ肉でもナチュラルなものを中心に食べるようになりました。

運動は合気道。43年間やっています。2008年から国際合気道連盟の事務総長に就任したので、比較的世界中を飛び回っていますが、以前との違いは、やはり少しゆとりのあるスケジュールになるように動いていることです。

昔の仕事のやり方は、実績を達成するか凌駕するかだったのですが、今ではどのようにゆとりを含めるかが大切になってきています。欧米人ほどにはできませんが、生活とライフスタイルのバランスはとるようにしています。

ロハスの聖地、ボールダー発

ブルーアガベとの出会い

ブルーアガベとの出会いは、カリフォルニア州アナハイムで毎年3月に行なわれているナチュラル系のトレードショーExpoWestでした。約7年前のことです。まだ、当時、ホールフーズなどのナチュラル系スーパーにもブルーアガベはおいていなかった頃です。会場で、あるきっかけでメキシコのブルーアガベを世界に売り込みはじめていた仕掛人のファディー・サボーンさんに出会いました。彼は、レバノン系のカナダ人で、ある会社の販売部長をしていました。サボーンさんの優れているところは、甘味料としてだけでは、なかなか欧米市場ではブルーアガベは売れないだろうということに気がついていた点です。彼がやったことは、ブルーアガベの特性を徹底的に調べることであり、品質基準なども作り上げてしまいました。まさに家内工業的だったものを欧米でも通用する商材に仕立て上げた功労者です。

アガベ

GI値が低いことを発見したのはサボーンさんではないでしょうが、それを臨床実験まで持ち込み、血糖値上昇率が低い甘味料として注目させるに至ったのです。果糖は果糖ですから、いかなる食材でもそうあるように、摂り過ぎは禁物ですが、水溶性が高く、他のお酢や醤油、あるいはジャム生産との相性も素晴らしいブルーアガベに惚れ込こみました。カクテルやケーキ類、和食、中華、パン作りなどにもブルーアガベが素晴らしいパートナーとして活躍してくれることを知ってしまったことから、これを是非日本へ紹介したいという気持ちにかられました。

そのようなことから幕張で毎年開催されるFOODEXに参加するようになりました。メキシコのブルーアガベ畑や工場も度々訪れ、ブルーアガベのことについては徐々に物知りになっていきました。業界の知り合いも、メキシコや日本で多くできたのはまだ、市場が小さいこともありますが、市場草創期のことでもあり、横の連携がとりやすかったからでもあるのでしょう。

ブルーアガベとわざわざ「ブルー」という言葉を入れていますが、アガベでも種類がいくつもあり、必ずしもみな同じでないから、特別に「ブルー」を冠して表記をしています。アガベという言葉はもともと「高貴」という意味だそうです。そうして数多くあるアガベ種の植物の中で、古代メキシコ人が最も高く評価してきたのが、ブルーアガベ種なのです。他に、アガベサルミアーナ種やマゲイ種などもありますが、メキシコの国民の誇りであるテキーラを醸造蒸留するときは、なんと、このブルーアガベ種以外は使えないのです。

メキシコで、オーガニックに惹き付けられたわけ

ブルーアガベに関わるようになって、有機栽培について大いに考えさせられることが起きました。栽培地帯とか工場とかオフィス、メキシコには毎年行っていますが、まだ私がブルーアガベに関わる前のことですが、メキシコでは2000年頃に害虫で、ブルーアガベの畑が相当やられて生産が落ち込んだときがあるんです。でも驚くことに、有機栽培をやっていた、ぼうぼうと野草の中に囲まれて、ブルーアガベ自体はほとんど隠れて見えないような、普通だったら畑に見えないようなところのブルーアガベだけが生き残ってたんですね。
なぜそういうことがあったのかいろいろ聞いたんですけども、ブルーアガベは6~8年かけないと生育しない植物です。パイナップルを大きくしたような玉ができるんですが、テキーラメーカーなどは、なるべく生育サイクルを短くしたいと思っているわけです。そこで、栄養が早くいきわたるように、除草剤や殺虫剤を使うなどして、畑には雑草が生えないような、ブルーアガベだけが生えるような仕組みにしていたわけです。すると、意外なことに、殺虫剤などに耐性のある害虫が出てきたら、植えられていた畑が一瞬で全滅したんですね。それでブルーアガベの価格が高騰することになりました。やはり野生のままに近いもの、有機のやり方で栽培して、ほかの雑草や動植物と混成させたブルーアガベのほうが、地元の土壌にも合ってるし、ほかの害虫がついたりするということもないんです。それがわかったことが、メキシコで最近、オーガニックということが比較的注目される大きなきっかけになりました。
現地の方も、殺虫剤の使用などによる病気(ガン)などが極端に減りはじめています。だから、そういうかたちでメキシコの労働人口にも適正な栽培物であると言えます。

アガベ

ブルーアガベは種まきしてから7、8年かけて育てていく、時間のかかる植物ですから、世界的にアガベの人気が増しても、アガベを商業化できるような余裕のあるところはメキシコ以外にはないだろうと思います。メキシコにはもともとテキーラがあるので、ブルーアガベの植え付けを長い目のサイクルで考えられわけです。でも、殺虫剤、化学肥料などを使うと、土壌が汚染されブルーアガベ以外に、ほかの作物に転換することができなくなります。ですから、鉄平と取引してるベストグラウンド社のブルーアガベは、株を切り取ったあとは2年間ほかのものを植える。土壌の栄養価が高まるようにして栽培しています。

鉄平としては、GI値が業界水準で一番低い17を取り扱うだけでなく、日本ではまだ取扱いがあまり多くないRawなものを販売しています。加熱や加工をなるべく減らすことで、良いほうに差別化できる製品を販売しているわけです。

非常に長期的な、地球的な規模で考えると、表土を守り、河川の汚染が少なくなり、生産者の健康のためにもプラスになるんです。ですから、最初からそういうきれいごとを考えていたわけではないんですが、現地メキシコの人に話を聞いて、ますますこの製品を紹介していきたいと考えるようになった次第です。

鉄平オーガニクス社のある町、ボールダーはこんな町

ロハスやグリーンというのは、ライフスタイルのことを指すので、金儲けの商業的なものではありません。日本で紹介するときには、わたしもロハスと書きますけど、こっちの人にとってはライフスタイルの一環で、とりたてて強調する必要のない言葉です。ロハスは、ライフスタイルの中から自然なかたちで、みんながああしようこうしようと言ってやっていくもの。そう冠したらなんでも売れるからという理由だと、長続きしないですよね。鉄平オーガニクス社のある、ボールダーの町にくると、例えば、新規住宅の許可が非常に制限されているんです。ボールダーでは、税金でどんどん土地を買って、それをオープンスペースとして残してきました。歴史をひもとくと、過去20年の話っていうんじゃなくて、山の高台にお金持ちだけ住んでいるなんて状況ができないように、 実際オープンスペースになっています。

例えばこの地域全体に電力供給をやっていた電力会社は、風力とかソーラーとか代替エネルギーを活用しないで石炭中心の発電所を引き続きもっていました。すると市民の側が、環境改善のために努力しない会社はいらない、電力供給の体制を市で作ろうということで、2011年末に投票して可決してしまいました。町は電力配線網をもってませんので、それ自体は、5年間かけて、そういう変電所とか高架線とか、電力会社の資産の買い取りの交渉を始めたりするって話なんですけど、わたしが市の関係者から聞いた話では、場合によっては自分たちで市営の電力会社を作る、ということにしておいて、電力会社が環境によりやさしい電力会社になるように、促すための手段でもあるかもしれないんです。

ボールダーがロハスの聖地になれた歴史的背景

ボールダーの町のフラットアイアン

これがボールダーの町のフラットアイアン。「鉄平」の名前の由来です。

実はボールダーって、もともとこの近くに金鉱が発見されてですね、金を探しにくる男たちが山のほうに入っていって、その補給基地的な役割を引き受けたのが、町の始まりなんです。なので近くにはゴールデンの街やゴールドヒルなどの地名もあります。金鉱に関連した名付けですね。

でも、ここはネイティブアメリカンにとっては非常な聖地で、ここから湧き出る水は、紀元前どころでない、太古の水が湧き出ると言います。岩盤…岩の間を通ったり、サンドフィルターみたいなところも通って、6000年8000年かけて水が出てくるので、とてもすばらしい水なんです。環境汚染がなかった時代の水ですから、素晴らしいと思います。この水は聖水だとの評判で、ネイティブアメリカンなどが宗教的儀式のときにここの水を使うようです。

教育レベルが高いことでも有名です。高地であることから、冷房などない100年以上も前に金持ちや教育者たちが夏場にボールダーに避暑にきたりしていました。その人たちが居残ったので、昔から街は教育レベルが非常に高い街でした。1880年代、90年代に、州が大学をどこかに作ろうとしたときに、ボールダーは立候補しました。ここにコロラド州最初の州立大学ができたんです。

ほかにも、ここにはすごい話がいっぱいあるんですよ。ボールダーは保養地でしたから、お金持ちの人たちが夏のあいだに来た。からだの具合が悪い人は、当時は健康食品とかそういうのがなかなかない時代ですから、みんなボールダーに来て、命の洗濯をしたわけです。ですからボールダーに人々がデトックスをしにきたのが、100年以上まえの話なんです。
セブンスデー・アドベンチストっていうプロテスタントの宗派があるんですけど、その人たちは『ナショナルジオグラフィック』でも世界長寿のエスニックグループとしてとりあげられるくらい、長寿の人たち。かれらは肉などを食べないで、穀類などを食べる、非常に健全な食生活をしていますが、その病院というか保養所がボールダーにできたわけです。
ミシガン州のバトルクリークに本社があったケロッグ社も、ボールダーに保養所を作りました。ここで穀類を食べさせたいんだけど、穀類はそのままだと食べにくいんで、コーンなどを水でふやかしてですね、昔の洗濯乾燥機、ローラーみたいな形をした水を切る装置があったわけですけど、その装置にコーンのフレークを落としてコーンフレークができたりなんかもしたわけです。ですからボールダーは100年以上前から、ベジタリアンの食事を始めたグループが、相当集まっていたんですね。

ベトナム反戦運動のころ、ヒッピーがやってきて…

1960年代には、ご存じベトナム反戦運動が起きて、サンフランシスコに近いバークレーのように、ヒッピーがボールダーの町にもそうとう集結するわけです。で、ヒッピーはコミューンを作ります。大手食品メーカーの作るもの、大企業についてはいっさい信用しない人たち、反体制派の人たちがいっぱい来て、ここでオーガニックの食品をいっぱい作り出したんですよ。だからロハスでお金儲けをしようとしたわけじゃなくて、大手食品メーカーの作るものは、農業従事者を搾取して、どんどんどんどん吸収合併させたり巨大農法をやったり、それこそ、著名なレイチェル・カールソンの『沈黙の春』じゃないですけど、殺虫剤を飛行機でばらまいたりする、そういう農場経営に反抗する若者たちが、ボールダーに結集したわけです。

ボールダーの町

そんな中でボールダーの豆腐王みたいな人も出てきた。その方は豆腐から豆乳に入って、豆乳のブランドSilkを製造する、アメリカでは最大のメーカーを作りました。 ホライゾンデアリーというオーガニックな酪農、集中農法が中心のアメリカでは考えられないような非効率な酪農を行なう会社もできた。成長ホルモンや抗生物質だらけになっていた牛の乳製品を、ボールダーの人たちがいやがって、ここに会社ができたのが、かれこれ30数年前。その会社がほかのナチュラル製品を販売しているような人たちとどんどんまとめあわさっていってですね、テキサスのサンアントニオにできたホールフーズのジョン・マッキーさんもボールダーに家をもってるんですけど、そういうオーガニック関係の超大物たちが、ボールダーを中心にして、ビジネスを始めたということになりますね。実業家になって儲けようという発想から出た人たちではなくて、そもそも最初から地球環境とかライフスタイルとか、大手を信用しないというような人たちが、ビジネスを始めたということになります。
ベンツやロールスロイスといった富を見せびらかすような風潮もないんですよ。もともとヒッピーの方が多いので、そういった人たちがたまたまやってたことが、ビジネスとして成功しただけだったりしました。取材に行くと畑仕事をやってたりとか、そういう方が多いですね。発言だけじゃなくて実行してる。家はきれいな家に住んでる人が多いんですけど、この人がそんなに大金持ちなのかなっていう人が多い。
ですから、子ども向けのおもちゃ一つをとっても、大手のマテル社などが作るようなおもちゃじゃ飽き足らない、子どもの想像力をかきたてるような、自然の、単純な、リサイクルがしやすい木を使いながら生産するような、そういう事業を考えたりするような人がこの町には多いんですよね。そこに歴史のつながりから、ベジタリアンがたくさんいたりとか、ヨガの超有名な先生もいたりですね、ボールダーはいろんなレーダーに引っかかってくる町なんですよ。面白いところですよ、ここは。 (談)