絶対に死んでほしくない、妻と子どもたちに使わせたい食器を作った

毎日口にする食器だからこそ、絶対安全なものを届けたい。小さな工房の親方が、半生をかけて開発した木製安全食器、TOMATO畑のすべてを語ります。


左:創業者 田中栄二 右:二代目 田中秀樹

  1. 子どもに食べさせたい安心・安全の食器。
  2. 価格はとにかく安く。
  3. あらゆるからだにいい料理にあうように、おしゃれにつくる。

すっかりおなじみの木製安心食器ですが、
今のようにわたしたちの手に入るようになる背景には、
開発のための語り尽くせないご苦労と、秘められた家族の物語がありました。
寡黙な職人・創業者の田中英二氏に代わり、二代目である息子の田中秀樹氏が、
TOMATO畑の物語を、 熱く、真摯に、誠実に、語ってくださいます。

大切な家族に安心できる食器を使ってほしい。
私たちはある出来事から無薬剤の食器をつくり始めました。

有限会社TOMATO畑代表 田中栄二氏より

株式会社tomato畑代表田中栄二氏と2代目田中秀樹氏
左:有限会社TOMATO畑代表 田中栄二氏、右:2代目 田中秀樹氏

20年前、私の妻ががんになりました。
乳がんでした。全摘出手術の成功確率は50%と宣言されました。そして手術に成功したとしても、転移したリンパ管のがんは摘出が難しいと診断されました。
手術は成功しましたが、苦しい抗がん剤治療が始まりました。襲い続ける吐き気、脱力感。妻は「こんなに苦しいのなら死んでもいい」そう言っていました。

その時、お見舞いに来てくれた友人に勧められたのが、食事療法でした。

「本当に安心できる食べ物を食べなさい。身体は基本的に3ヵ月で細胞が入れ替わる。身体に良い変化が3ヵ月で実感できたら食事療法を続ければいい」。
もちろん病院の先生には反対されましたが、驚くべきことにこの食事療法によりがん細胞が消えてました。(ビワの葉温熱療法も行い続けました)

この出来事で、私は家族を失うことへの恐怖と悲しみとともに1つのことを決意しました。
私の妻は、安全な食べ物をつくってくれた生産者達に救われた。だからこそ、自分がつくる食器も安全でなければならない。
有害な薬剤処理や溶剤を混ぜない本当に安全な食器を。

それからは職人としての誇りにかけて、自分の目が光る範囲で生産し、本当に安心できる安全な食器をつくろうと決めました。自分の命より大切な家族に使って欲しい食器。
それこそが、お金を出して買っていただくに値する食器。そうして産まれたのがTomatoBatakeの安全木製食器です。

製法の確立には長い年月を要しました。現在も、昨日よりも今日、今日よりも明日と、より安全な製法を研究しています。

農薬が当たり前だった時に安全な作物をつくりだした農家さんのように、私たちも理解を得られない年月を過ごしました。活動資金は私財をを投げ打ち、それでもつくり続けました。
安全な食器をつくる場合、国内でつくると高価な工芸品になる可能性があります。妻ががんで闘う当時、私は何百万円も治療費を支払いました。
そんな私でも家族分を気軽に買える手頃な日用食器をつくりたい。そのため、中国に生産拠点を配置し素材から製法から検品に至るまで、 全てを日本と同じようにするため、何年も中国に通い、そして移り住みました。

トマト畑の木製食器

中国での暮らしは過酷でした。本当につらくて帰りたくなる時には財布に忍ばせた家族の写真を見て過ごしました。
家族に使ってほしい安心できる食器をつくると決めたからです。だからこそ、ご自身と大切なご家族やご友人のために使ってください。
私も、TomatoBatakeの関係者も家族を守りたいという当たり前の小さな夢がスタート地点です。

一番上の写真の右は息子の田中秀樹です。
以前、息子は大きなコンサルティングファームで経営コンサルタントをしていました。 私はこんな辛く貧しい家業を継がせる気は全くなく、一切の話をしていませんでした。

しかし、ある日息子が初めて中国の私の住まいを訪ねてきて、つい打ち明けてしましました。
その日から、息子はキャリアを捨てて、「TomatoBatakeがつくり続ける日まで自分が営業をするよ」と言ってくれました。
それから息子はたった一人で全国を歩き回っています。
今では多くの共感とご協力をいただき、少しずつですがお取り扱いいただける企業様が増えてきました。全ての方に感謝しています。

トマト畑二代目インタビュー

二代目 田中秀樹氏

ぼくは二代目なんですけど、TOMATO畑のスタート時点の理由を知ったのが今から三年半前のこと。息子なのにぜんぜん知らなかったんです。本当なら父が語るといいんですが、職人の皆さんって万国共通、クリエイターなんですね。理屈はいいから触って使ってくれという人が多くて、話が苦手。ですので、ぼくのほうからお客さんに、こうやってご案内させていただいてます。

母が乳ガンになったことが、TOMATO畑の始まりでした

父は小田原出身で、ぼくなんかよりずっと若いときからこの道に入りました。労働省認定箱根細工技能士の資格を所持しています。ケヤキの木を成型してお椀などにして、漆を拭き漆(ふきうるし)という技法で塗っていく、素朴な、田舎料理のお店とかでよく出てくる日曜食器をつくるのが地場産業の町で、有名な工房に弟子入りし、十年半人前の世界で修行を積み、独立してほったて小屋みたいな工房を建てた。子どものときその工房に行くと、中にろくろの機械がありましたね。毎日毎日おがくずを片付ける、木の香りのする工房でした。
カタログなどにも載っていますが、21年前、ぼくの母が、41歳の若さで、末期の乳がんで入院しました。かなり昔の話なので、即摘出で手術したんです。その後、運悪く、リンパに転移し、転移がつづくようであれば、あと3年もつかもたないか、手術の成功確率は50%くらいだと言われました。
そこで一回、抗ガン剤と放射線治療を勧められるままに受けたんですけど、うちの母はものすごい副作用に苦しみました。髪が抜け、ごはんも食べられないくらい気持ちが悪い、吐き気がある、からだが痛くて夜も眠れない。ぼくはまだ中学生だったんですけどよく覚えています。父にいたっては悲しすぎてみていられなかったんだと思います。ものすごく威勢のいい怖い頑固親父で、けんかして帰ってきたら必ず絶対勝てと言う、丸太ん棒みたいな腕をした力持ち、亭主関白だった人が、ものすごい、しょぼんとしちゃってたのを覚えてます。
細かいやりとりは聞いてないんですけど、結局、抗ガン治療はやめたんですね。病院のベッドでだらだらと延命治療しながら、治るって約束あるわけじゃないのに、こんな辛い、ほんとにからだがきつい思いをするなんて、と。それに、こういう仕事している人は全国的にそうだと思いますが、いいものを作りたいと思ってやっていて、基本的には商売が下手なんですよ。うちもまったくお金がないという家庭でしたから……。
そのときに近所の母のお友達がもってきてくれたのが、自然療法の東城百合子さんの本。さらに、マクロビオティックのロジックの本。うちの母は、「食べ物で体が作られてるのは誰にとってもそうだから、食べ物で治せない病気は病院にも治せないんじゃないか」とすぐに悟ったんですね。そこから、ものすごい厳格なマクロビオティックをやるようになりました。
さすがにみるみる元気になったというわけではないんですけど、実際には再発が見られるどころかガンがどんどん小さくなる。田中家とまわりのみんなにとっては、先進医療に治せなかった病気が、食べ物で治せたという事実しかありません。
母親が回復していくのはうれしいことでしたが、その一方で、父親は単純に、「食べもので治っていく」ということがショックだったようです。

大量生産する文化の中で、木の食器は薬づけになっていた

伝統工芸の世界では、素晴らしい高名な先生たちは、天然物を使って、とても高くて、お好きな方にご愛用いただく器をつくっています。一方で、高度経済成長期のときに、現実に需要と供給の関係で進んだのが大量生産の文化です。そのときに導入されたと言われている作り方が、うちの父も当時、大丈夫なのかな、いいのかなと思っていたみたいなんですけど、丸太ん棒を削ったような「お椀の原型」を、防腐・防カビ・防虫効果のある液剤につけるというやり方。
また、木って素材にもよるんですけど、うちの使っているなつめの木だと、伐採前に寄生しているバクテリアがいて、天然じみができるんです。そういうのをきれいに消さないと、きれいな木目の色にどうしてもならない。そこで漂白剤の出番です。漂白したものと、うちのものと比べてもらうと、まったく違うのがわかると思います。漂白すると、シミと一緒に木目も消えてしまって、木目を残す塗り方をしてもきれいに見えない、その場合はオレンジ色の着色料に入れて、木目を復活させもします。

左:漂白されたお椀 右:TomatoBatakeの漂白しないお椀

シミだらけのお椀とか、匂いがむちゃくちゃするお椀とか、一個一個ご案内して、安全に昔ながらにつくるとこうなんですよと説明すると、絶対ご納得いただけると思うんですが、でもやっぱり大量消費文化って、説明を省く文化です。国内で作ったものに対する安全性の検査はないですから、クレームを防ぐほうが、効率化できるんです。結果、まぎれもない事実として、防腐・防カビ・防虫効果のある薬剤と、漂白剤につけられた食器が流通します。実際こういうものが食卓に並んでいる可能性は非常に高いんですね。

お金を出して買ってもらった食器で、その方の大切なご家族を奪いたくない

社会的批判をするつもりはまったくないんです。ただうちの父は、母がガンになったときに、すごい考えさせられたと言ってました。病院の先生が、あと3年と言っていた末期ガンが自然のものだけで治ってしまった。食べ物がそれだけ大事だとすると、自分が作っている食器も毎日口に入れるものに違いない。自分の家族が母の件でとても悲しい経験をして、自分自身もほんと打ちのめされて、なんで自分の家族にこんな不幸が、と思った。でももしかしたら、薬剤処理をしたら、毎日発ガン性物質が溶出するものを、ご家庭にお届けすることになる。お金を出して技術を買ってもらったのに、その人たちの家族を奪ってると思うと、表歩けねぇと思った、と。
それに、そんな食べ物をつくった生産者さんってすごい偉大だな、と思ったそうなんですね。二十年前にいたっては、今よりハードルが高く、農薬を使わないような作り方を始めると、売り先がまったくなかったんですよ。今でも農協では、いろんな農家の米をブレンドして、品質を安定させるみたいなんですけど、その場合、農薬ばんばん使ってクレームなくしちゃうほうがいいという考え方が当然でてきますよね。そんな中で人間としてはすごく当たり前の気持ちに従って、家族と社員を目の前に、自分は食いっぱぐれてもいいやと一歩を踏み出した人は、どの時代でも偉大じゃないですか。
それでうちの父も当時、こんな飾った言葉じゃないんですけど、発ガン性物質の入った食器なんて作らない、絶対死んでほしくない家族が、子どもが口に入れられる食器しか作らない、そうでないと意味がないんじゃないかとすごく思ったみたいなんですよ。あと、とにかく安くつくろうと思った。
安いことでご批判もいただくんですが、食事療法を始めた方は、病院の費用もかかりますし、当時の食事療法は、今よりさらにお金がかかりましたからね。うちも大変苦労があったようです。そういう中で、1個1万円とか、2個で桐箱に入って1万円とかのお椀やお箸を、家族のぶんも含めて買えるのかというと、買えないですから。
そんな話を3年半前、ぼくは初めて聞きました。そう思ってくれる父親を、ぼくはほんとに誇りに思っています。

TOMATO畑の食器が中国製である理由

そこからのちほどTOMATO畑になっていく活動が始まりました。うちの父親は商売抜きにしてやろうと決めました。掘ったて小屋の工房の親方なんですから、どっかのでっかい会社の研究所とかあるわけではない、一個一個実地で検証しながら、自分で考えて考えて考えて、やり始めたんですよね。
最初に悩んだのが原木の安全性です。値段の問題もあるんですけど、うちの食器は食用樹のなつめや栗なので、実が採取されるまでは、ずっと畑で栽培されていて、実をつけなくなった生産性のなくなった古木が伐採されます。実をとるあいださんざん農薬を撒かれた可能性があるんですが、その木がどれくらい農薬を吸い上げたかなんて、材木屋さんの段階ではわからないんですよね、検査する機関も義務もありません。だけど、こういう伝統工芸、木の食器というカテゴリーでやっていて、自分のつくっている行程だけ安全性を約束すれば、お父さんお母さんに「子どもさんに安心して使わせられますよ」って思うのはおかしいと思うんです。仕入れる木の安全性って一番大事。
木の安全性には絶対こだわるとして、うちの父たちの代は、ビジネスのことなんて、考えてもいないということを、ご理解いただきたいと思います。父たちは、そこで中国の福建省に行くことになりました。
中国は安全性というイメージから大変かけ離れていますが、中国の林業局、福建省の局長とは、飲み友達になり、原生林の計画伐採の許可証をもらえたんですよ。在来種の原生林、人がまったく立ち入ってなくて、農薬まいて実をとらないような原生林の木であれば、ある種究極の安全じゃないですか。うちみたいな小さい会社が、いちいち安全性を検査していたら、伝統工芸の芸術品よりも値段が高くなりますから、安全性を理屈で証明できる方法を選んだんです。温かい土地のほうがいい木もとれますしね。それで福建省で作り始めたんですよ。

煮沸消毒した木を養生のため、一年間寝かせます

あらゆる意味で、安全というものをご理解いただけるようになったのがほんとにここ数年。安全につくるためにうちの父親が採用したのが煮沸です。
ある程度のかたちまで荒削りしたものを、巨大プールで、100度の熱湯で24時間以上煮続けます。導管の中にある、腐ったり虫がくったりする原因物質をぜんぶ取り除く処理ですね。下から端材をばんばん燃やします。すごいお金かかるんで、そんなしょっちゅうできないんですよ。
完全に水で処理すると、乾かすのに時間がかかる。だから、どの季節に煮沸消毒したとしても、一年以上寝かすんですよ。風が入るように常にあけっぱなしにして、春夏秋冬の季節の温度、風を体感させて、煮られた木を養生させる。すると、最終的には、ぱりっぱりになります。その間に、腐ったりカビたりダメになった部材は、プール用の燃料にするんですね。ほかにも割れちゃった部材は、ぜんぶ破棄しないで燃料に使う。一年置くことが、検品期間にもなる。
薬剤処理をすると揮発しますから、蒸発率がとても高く、乾燥するのが早いんですね。大量生産するのに一年以上寝かすなんてまずありえない。コスト的にもありえない話。こだわればこだわるほど、下処理だけでもこれだけの差がある、コストがかかってきます。
下処理に関しては、漆を使ったり、瓦に使う土を焼きしめて殺菌消毒して、導管っていう毛穴みたいなものに埋め込んで耐水性を高める下処理、それらもすべて昔ながらの天然物を使っています。

食品衛生検査でわかる、塗料の安全性

そのあとの漆塗りに使う材料も、貴州省や福建省のいろんなところから、自生しているものを自分たちで採取するんです。自分たちで濾過して、自分たちで天然漆をつくります。国内では現実的に無理ですよね。国内でいま見られるのは無臭漆。お味噌汁を入れたら臭う、そのクレームに対処するよりは、薬剤を入れた無臭漆を使うんですが、人体に無害であるとは言い切れないものです。
昔はうちは、「家族に使わせる食器」というルールの中で漆ばかりだったんですけど、かなり前から、びっくりされるんですけど、ウレタン塗料も採用しています。ウレタンに関しては、実はイメージ悪いので、安全性をうたう上で採用するのは間違いなくデメリットです。もともとぼくの最終の仕事は経営コンサルタントでしたので、ブランディングという観点からするとさっさとやめたほうが本来はいいんですよね。 
でもウレタン塗料を使うことには理由があります。
食品衛生検査という日本で唯一と言っていい検閲検査があって、この検査で、木の食器から溶け出すものがなんなのか、安全性を調べる検査をすると、飲める水よりも安全ということがわかったんです。うちは、数値で見える化するために、その検査ををまじめに、一個3万円くらいかけて、何個も何個もとっています。
厚生労働省のHPで公開している一般のペットボトル、日本が認める飲める水の溶出度の数字がだいたい3前後なんですが、うちのウレタン塗料は韓国のメーカーさんで、あまりに精錬度合いが高すぎて、うちの食器は溶出度が2を下回ってるんですね。飲める水よりも安全な、食べられない木の食器が誕生したんです。
厚生労働省は他社さんの数値は絶対教えてくれないので、日本一とは断言できないんですけど、前代未聞に安全すぎて、木に塗装した製品としてはありえない数値だということで、6回も自費で再検査させられたんですよ。でもうちは、不純物が出てこないようにもともと煮沸で消毒して、がっちがちに硬いウレタンで固めていますから、ありえるんですよね。父は笑いながら言ってたんですけど、ものすごく嬉しかったけど、お金が自費だから大変だった、って。
で、何が溶出してるかというと、固まらない天然着色料なんです。シュロの木の皮や、クチナシの花びらの粉、溶け出していいものです。クチナシはくりきんとんで食べるものですよね。でもウレタン塗料に関しては、アレルギー検査をしているわけではない、あくまでも石油原料であることには変わりなくて、無害を証明できている状態ですけど、少なくともぜんぶ天然がいいという方には、漆のラインナップのほうをおすすめしています。

韓国や中国の検査証の安全性が高い理由

実はぼくも父親の言っていることに間違いはないかとさんざん調べたんですけど、塗料の基準って、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、とくに厳格なドイツは、安全性の基準が高い。アジア圏だと、アメリカの基準にならった韓国は非常に安全性が高い。だいたい一般の消費者のみなさんには、韓国や中国の検査証があっても、ぜんぜん安全のイメージにたどりつかないとよく言われるんですが、日本の合格証ほど安全に対して意味のないものはないですから、その事実も本来知っていただきたいんです。うちはとにかく、よりレベルの高いほうで合格証をとってます、ということです。
あと、父親が大事にしてるのが、ちょっと意外なんですが、なるべくおしゃれに作ること。うちの母が昔言ったんですよ。食事療法が、ぜんぶ和食だとは限らない。和食や洋食という区切りはないから、お父さんがせっかく作るんだったら、おしゃれにしたら、って。

経営コンサルタントとしてのキャリアを捨て、この世界へ

決してうちは裕福ではありませんでしたから、ぼくはキャリアや職歴も、ごく最近まで争っていたエリートたちに比べれば、ほんとにビリからのスタートでした。でも、今思えば父に教えてもらった不屈の闘志があった。最後には先生よばわりされて、正直言って、TOMATO畑の年商なんて、ひとりで給料でもらえる状態でした。
成功を手に入れていくのが自分の価値観になったときに、あるお客さんたちとうちの父の工場の近くに行くことがあって、それで初めて、父のところに泊めてもらったんです。なんでそれまで行かなかったかと言うと、父は貧乏で、当時のぼくはお金持ちの仕事にしか興味がなかったから・・・。
で、ちょっとびっくりしたんですよ。朝も早い、夜も遅い。舗装すらされてない、田舎という言葉で表現できないくらい山の中。それが、最初言葉をしゃべれなかった日本人が、国籍をほぼ放棄するような決意で、そこにすみつくような覚悟で仕事してたなんて、ありえないと思いましたね。しかももうかってない、借金が返せないというような状況。なんでこんな仕事をするのかなと、半分の年齢のぼくがこれだけ稼ぐ仕事をしていて、人生もう少しうまく生きられないのかなと思ったんですね。それで、なんでこんなことしてんのと、TOMATO畑の理由を初めて聞いたんですよ。
どの親も同じだと思うんですけど、子どもにはお金がいっぱいもらえるような仕事をしてほしい、上場している大きい会社で働いて、懇親会で先生呼ばわりされる息子がいたら、やめさせたいと思わないですよね。父は笑いながら話してたんですけども、やっぱり正直、苦労がわかりましたよ。ぼくは真実を知らなかった、父はよくぼくに食器を送ってくれていた。子どもに使わせる食器を作るというルールも知らなかったけど、いろんなことが自分の中でつながって、家族を愛するってこういうことなんだ、自分の仕事で家族への愛を表現できるってほんとに幸せなこと、それが貧乏だろうがなんだろうがほんとうに誇り高いって思いました。

創業者 田中栄二氏
当たり前のことやってるの、道徳的に。ほんとに。ただそれだけですよ。

日本全国で、ぼくが一番TOMATO畑のファンだと思います

二代目 田中秀樹氏

ぼくはそのときコンサルティングのチームに入ってましたし、ものすごく経営学の勉強をしてましたけど、会社の経営にほんとに求められるものについては、どの本にも書いていなかった。うちのTOMATO畑にこそほんものがある、息子としてじゃなくて、コンサルタントとして、初めて出会ったって思いました。夢に燃えてる方はたくさんいるし、ステキな会社さんもたくさんあるんですよ。でもぼくの心に唯一刺さったのは、経営学の「け」の字も知らないけど、人生の半分をかけて、誰にも知られてないくせに、言葉もわからないくせに、自分の財産を放棄しながらでも、切り売りしながらでも、うちの食器を買ってくれた人が1日でも2日でも寿命が延びて、自分の妻みたいなつらい経験をした人が1人でもいなくなってほしいと願って、それを証明するためにずっと子どもに食器を送りつづけた目の前にいる人間。これ以上のものはないって、ぼくも涙が止まらなかったんですよ。
でも実際にはあと3年で会社は廃業する、続かないって父は言っている。どうしよう、自分が入ったところで何ができるかっていろんなことを思ったんですね。
3年で跡継ぎになれるような仕事ではないですが、財務管理をぼくにぜんぶ任せてもらって、一年半もらって中国で父たちの論理的な製造法を勉強して、より感銘を受けました。いろんな同業者の方からご批判も受けますけど、ぼく自身素人だったのでいろいろ勉強して、納得したんです。うちのロジックを崩せる会社さんがあるとしたら逆にお目にかかりたいくらいに思っています。一般のご家庭の方も、子どもにいいもの食べさせて、やさしいいい子に育てたいなって誰でも思いますよね。そんなときに食器の安全性が保証されない日本って、何かの可能性がどんどんつぶれていきますよね、文化に対しても、経済に対しても。
いまぼくは社員ですけど、日本全国の中で、ぼくが一番TOMATO畑のファンだと思います。それに、運良く、うちは身内にも外にも応援してくださる方がたくさんいて、なんとかなった。ほんとうに感謝しています。すべての方にお伝えすることに向けて努力して、一歩一歩が長い年月で大きな輪になっていって、同業の方も、そこにマーケットがあるんだなって気づいてくれたら、伝統工芸といえば芸術品だったけど、安全という切り口で再度見直される日もまた来るのかなって、思います。そうしたら、日本の木の食器文化って、日用品として根付く日がまた来るかもしれない。

僕がTOMATO畑の二代目といいながら社長になれないのは、ぼく一人だとぶれると思うからです。ほんとうに応援してもらいながらここまで来た、そういうビジネスにモデルなんてないし、理屈じゃ証明できない、論理じゃないんですよね。それを地でいったうえで、それが本気で通じて、小さくても一つのマーケットとして形成されてるってのは、偉大な実例なのかなって。
だからうちは、共感いただけるお店さんにしか卸せないという会社であることを、貫かないといけないのかなと思っています。百貨店さんとか量販店さんとか、年に数回引き合いをいただいても、僕自身が勇気を出してぜんぶお断りできるのも、決してかっこつけてるわけでも、ぼくの過去の勉強の成果でもなんでもなくて、父親たちが20年間ぶれてなくて、相変わらずぶれないから、ぼくにも伝染してるだけなんですね。