ブラックジンガー、リブレフラワー、ホロニックスフーズ

玄米健康飲料から深焙煎玄米・黒大豆の粉炭ミネラル飲料、活性玄米微粉末など多数

「焙煎玄米粉」の数々ある欠点を解決した
自社開発製品を販売しております。

さらにおいしく、さらに安全な玄米の優れた点とエネルギーを
引き出した製品を弊社のノウハウでゼロベースから開発しました。

有機JAS認証を受け、さらに焙煎レベルを現代人の食生活に
最適化し、非常に溶けやすく続けやすい味に仕上げています。

品質を高めながらも、直販により価格も低く抑えました。

プレマ株式会社オリジナル
玄氣陽氣の素(げんきようきのもと)をお試し下さい。

ブラックジンガー

ブラックジンガーはコーヒー感覚でお召し上がり下さい
ブッラクジンガー

ブラックジンガー1袋につき1カップ(150cc)の熱湯を注いでよく混ぜてください。
ホットなヘルシーティーの出来あがり。お好みにより、ホットミルクや紅茶、またはコーヒーにも良くマッチします。
冷たいミネラル水に溶かしてブラックティーに、またはヨーグルトに混ぜてみたり、アイスクリームのトッピングにしたりとあなたの工夫で広がります。 おいしくて体に良いのが特徴です。

長時間焙煎で強い吸着力を実現! 酸化しない黒炒り玄米のパワーです

玄米のパワーをパワフルに引き出したブラックジンガー

玄米は、栄養バランスがよく、良質の血液をつくるといわれています。
また、玄米を主食にするとエネルギーが身体の底から湧いてくるとも言われます。(戦国武将の驚異的なパワーと体力は玄米食にあったといいます)
古来中国では、玄米はその多くのパワーから、大切なものとして扱われてきました。特に玄米を黒こげになるまで炒り込んだ「黒炒り玄米粉」を煎じて飲むと身体に大変良いといわれています。食医同源。玄米の成分を最もコンパクトに、パワフルにした食品がブラックジンガーです。

独自に開発した装置によって酸化しない黒炒り玄米ができました!

玄米の精・ブラックジンガーは、独自に開発された装置特許ホロニックテクノロジーによって製造されました。
玄米を長時間ソフトにローストすることによって、酸化しない黒炒り玄米が出来ます。これは玄米の成分γ(ガンマ)オリザノールが熱変成し、フェルラ酸が生じるためです。さらにこの黒炒り玄米をミクロ大の微粉末にしたのがブラックジンガー。ビタミンEやミネラルなどの複合成分を、コーヒー感覚で楽しんでいただけます。

長時間焙煎=炭化させることで陽性の気質を強化

食べる炭といっても差し支えないブラックジンガーシリーズは弊社でも大人気商品です。
長時間焙煎=炭化させることで陽性の気質を強化し働きを高めてあります。備長炭と同じく極めて強い吸着力を実現しました。つまりすっきりして体外に運び出すのです。

玄米エネルギーが体のすみずみにまで行き渡るブラックジンガー

大切なのは、陰と陽のバランス

ブラックジンガー シガリオ社製  玄米の断面図

東洋の考えでは人間の体質を大きく分けて「陰・陽」ととらえます。陰性、陽性のいずれかに傾いてくると健康を保つことができません。大切なのは、陰と陽のバランス、つまり中庸を保つことです。しかし、現代人の体は相対的に陰性化していると言われています。陰性に偏り過ぎた体は、基礎体力が減退し、代謝が鈍くなって生活習慣病といわれる慢性病を引き起こしやすくなります。ですから、現代人は体を陰性化しないようにする必要があるのです。

「玄米は本来、中庸よりやや陽性の性質を持っています。ところが、食物がもっている性質は調理方法によって変えることができるのです。玄米で言うと、玄米をおもゆにして食べると陰性の性質が強くなりますが、玄米を黒焼きにすると陽性が最も強くなります。陰性の性質をもつ脂肪やタンパク質を飛ばして陽性の炭水化物の炭化したものだけが残るからです。黒焼きについては未解明な部分も多いのですが、黒焼きにすることで玄米の優れた効果が強く残ると想像できます」

玄米の優れた栄養バランスが良質のエネルギー源となる

玄米を100としたときの栄養比較

玄米と白米の成分比較
(白米を100としたときの比較単位%)

玄米には炭水化物、タンパク質、脂肪の他、ビタミン類やミネラルなどの栄養素がバランスよく含まれています。しかし、ブラツクジンガーが優れた食品と言われる理由は、単に栄養バランスがとれているというだけではありません。

しかも、ブラックジンガーは15ミクロンという微粉末です。玄米はよく噛まないと消化吸収に負担がかかりますが、玄米そのものより微小な粉末であるブラックジンガーは、そのままで玄米を十二分に噛んだような状態であり、エネルギーが効率よく行き渡ります。
つまり、ブラツクジンガーは、玄米の弱点を補い、長所を向上させるパワーにあふれた食品なのです。

インタビュー

シガリオグループ代表の豊藏会長に突撃インタビュー!

米あおき神々の国に魅せられて
豊藏会長

シガリオグループ代表の豊藏会長取材レポート。豊藏会長の生い立ちから死生観をお届けしたいと思います。

1937年台湾で生まれるも、お母さんの母乳が出なかったため、ご近所の日本人の方が分けてくれる自家製玄米汁を飲んで育ったという豊藏会長。寒い日に飲むと体の芯から温まったと、懐かしそうに当時を語っていただきました。今振り返ると、生まれたその時から既に玄米と共に生きていく運命であり、神に与えられた一つの役目だったのかもしれません。
20代で玄米粉の商品化に取り組み始めたとき、技術的に到底不可能だと専門家も含めて周囲の誰もが大反対しました。そもそも政府が管理する米でビジネスに成り得ないとみんなが馬鹿にする中、唯一賛成してくれたのは豊藏会長のお母様でした。決意を聞かされたお母様は、さっそく玄米を買いに行き、台所で煎って玄米粉を作ってくれました。お湯を加えて飲んでみると、香ばしいおかきのような風味でとても美味しい。これならいける!と、その場で確信したそうです。

長い時間はかかるまいと当初は楽観的でしたが、蓋を開けてみると技術開発に20年、製品化・商品化に10年。計30年もの年月が費やされました。それでも、失敗を繰り返し目の前が暗くなればなるほど、まもなく光が見えそうな感触がありました。周りからは狂気の沙汰だといわれても、自分自身が開発する商品で未来の人類が助かるだろうと思うと、諦める要素が見あたらなかったのです。「道楽の極み、極道だった」と豊蔵会長はいいます。

ベースには常にロマンがあったのです。人には味わえない味を体験させてもらっている。見た目には限りなく失敗しているように思えることも、だからこそ人生だと笑って吹き飛ばせる。他のことで失敗していたら後悔もあったかもしれないが、自分が決めた人生を味わいながら生きていたから落ち込んだり後ろ向きの感情を抱くことは全くありませんでした。

10代の頃はさらにロマンティックだったといいます。例えば、「いかにマルクスを超える思想書を書こうか」などと、常に人と違うことを考えて、違うことにチャレンジしたいと思っていました。

台湾から日本に引き上げてきたときには、同級生からも戦勝国の人間のような特別扱いを受けました。そんな体験や、そもそも国際的な環境で世界を見て育ったこともあって、かなり客観的に日本という国を見る傾向があります。しかし、だからこそ「日本とは何か?」という想いや、当時の国民が捨てざるを得なかった日本国に対する愛情が深いのです。当時から内面性に違いがあったことが、たとえ食を語っていても政治や文化に思考が発展していく理由なのでしょう。

戦争中、兵隊さんが豊蔵会長のお父様のもとに最後の挨拶にみえることが少なからずありました。お父様の膝の上に腰掛ける幼い少年の瞳にも、明日死にゆく若き戦士の凛とした姿は憧れるほどに美しく映り、その限りなく純粋な魂の存在は深く記憶に刷り込まれました。

その美しい犠牲の末が今日の日本…。あの精神の美しさや志は、残念なことに現代に引き継がれませんでした。もちろん国のために死ぬ覚悟云々の話ではありません。いわゆるサムライスピリッツ、ここぞというときの決心や決断力です。

良くも悪くも民主主義は発達しましたが、与えられた民主主義だからでしょうか。課せられた義務は置き去りで、権利の主張と欲望への執着ばかりが露呈した未熟なものであることは否めません。よほどのリーダーでないと今の社会を引っ張ることは難しいでしょう。

難しいとはいえ、若いエネルギーを浪費することほどもったいないことはありません。「坂本龍馬になれ!」とは豊蔵会長が著書の中で投げかけたメッセージ。龍馬のように大衆を動かすことのできるリーダーとは、自らを捨てて人のために一所懸命になれる人です。権力で抑えつける独裁者はいつか裏切られますが、崇高な情熱は求心力となり多くの尊敬を得られるはずだと豊蔵会長はいいます。

この複雑な社会でひとりで生きていくのは大変なことです。貧しいながらも人間関係が濃かった昔はむしろ生きやすかったのです。情緒的な人間が育つ機会や会話を通じて啓蒙し合う時間も削られています。携帯電話やインターネットは確かに便利ですが、豊かな人間性を育むための「人との会話」という点では評価できそうにありません。教育の現場も然り。方向性が見えない状況ではあるけれど、あくまでもルールあっての自由。何でもありが横行したら、どうにも手に負えなくなるのは当然のことです。

規律がなくなってしまった社会を抱え込み、今は混沌の時代を向かえています。これをどこに収斂(しゅうれん)させるのか。そんなことを豊蔵会長に考えさせてくれたのも米の存在でした。「こめへん」に「あおき神」と書けば精神。米あおき神々を抱いて死んでいくロマンティックな人生にしたい、というのが豊蔵会長の熱い想いです。

生死とは、宇宙という大舞台で繰り返される大きな周期です。そして、生まれたことは一期一会。どう生きるかよりも、いかに死ぬかが重要だと豊蔵会長は断言します。
「生き方が分からない人は、いかに死ぬかを考えてないから。だから途中で、死んだ方がマシだという短絡的な結論に至ってしまう」
死は自分自身のセレモニーであって、その死にざまは自分で選択するしかありません。そして、いかに死ぬべきかということはすなわち、いかに生きるべきかに直結してくるのです。