
▲編み機にも、ありがとう!という気持ちで・・・ |
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神、あるいは目に見えない存在が、もしかしたら私たちをサポートしてくれているのではないか!と思うときがあります。宝くじに当たったとき、一瞬の違いで事故から救われたとき、自分の力以上のパワーを発揮したとき・・・。
杉山浩之氏にもそんな経験があるといいます。
杉山さんは、元々、製薬会社に勤務するサラリーマンで、靴下産業とは全く違う世界で活躍していました。それが、平成3年に奥様の富子さんと結婚して、杉山ニット工業の娘婿になりました。しかし、まだそのときは、自分が工場を継ぐことは全く考えていなかったといいます。
杉山浩之氏が勤めていた製薬会社は約500人規模の会社でした。最初に開発部に入り、次に学術、最後に営業、と3つの部門を経験しました。杉山さんにとって、この3つの部門で経験したことが、将来、重要な役割を持つようになるとはそのときは考えもみなかったことでした。製造現場の苦労、学術で薬の申請データ作成時に覚えたパソコン・書類の作成、営業・・・と、それがそのまま現在での杉山ニット工業の仕事で生かされているという訳です。
さて、杉山さんが結婚したころから、間もなく、靴下業界に大きな異変が起こり始めます。輸入率が増え始め、国内の産業が衰退していくようになりました。次々と大手下請け会社は倒産、工場閉鎖に追い込まれていきます。平成7年に21.1%だった輸入浸透率が、平成16年には62.8%に・・・。杉山ニット工業も例外ではありません。浩之氏も、サラリーマンをしながら義理の父親である昇さんを助け、マーケットの開拓に協力せざるを得ませんでした。そんなある日、昇さんが、EMに着目し、靴下に使えないか・・・と言い出します。EMって何?チンプンカンプンだった浩之氏はそんな昇さんに首をかしげます。「最初、EMにはまったく興味がありませんでした」と当時を振り返る浩之氏。まだそのときには、EMが杉山ニット工業の救世主となり現在の発展の基盤を作るようになるとは思いもよらないことでした。
1996年のことでした。父親の昇さんに福井県の鯖江で開催されるEMの研究大会に誘われた浩之氏は、参加するつもりは全くありませんでした。しかし、研究大会開催日の9月28日の1週間前のこと・・・会社の仕事で28日の朝に突然金沢へ行かなければならなくなりました。新しい得意先でした。せっかく近くに行くのだから・・・と家族にも説得され浩之氏は鯖江の研究大会に参加せざるを得なくなります。そして、浩之氏はEMと関わり始める人生がスタートしたのです。
一方、国内の靴下業界は衰退の一途を辿っていました。杉山ニット工業は風前の灯でした。
「ほとんどの靴下は下請け孫受けです。だいたい8割から9割がそうでしょう。大手から依頼され1年分の製造依頼書が渡されます。でも、そのうち引き取られるのが3、4割というときもありました。7、8割売れればいいですがね・・・。倉庫に商品が山積みの状態でした・・・」と当時を振り返る浩之氏。杉山ニット工業はいよいよ大手との取引中止を決断!何とかマーケットを開拓し会社を軌道に乗せるために、浩之氏も大奮闘。
そうこうしているうちに、父親の昇さんが、EMを靴下に応用する技術に成功!そして、非常に取るのが難しいといわれていたEMの認定マークを取得!
その認定マーク取得の朗報を浩之氏が聞いたのは富山へ行く電車の中、何とEMの研究大会があった鯖江の駅の前でした。
「自分は、製薬会社よりも杉山ニット工業にもっと強く必要とされている・・・」と感じるようになっていた浩之氏。鯖江の駅前で偶然にもEM認定マークの朗報を聞いたとき、神の啓示に打たれたように何か運命的なものを感じたといいます。そして、浩之氏は、12年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、杉山ニット工業に全精力を傾けようと決意を固めることになったのです。
やがて、どこにも真似できないEMの靴下は、父親の昇さんと娘婿の浩之氏、そして奥さんの富子さんの協力で、マーケットに定着していくようになります。自然食品店、フットマッサージ店のほか、個人客でも口コミでリピートが増えていきました。最初は10アイテムだったのが、お客さんの要望で今では100ものアイテムが造られるようになりました。奈良県の小さな会社が、世の中に認められるようになったのです。EMは、まさに杉山ニット工業の救世主となりました。

▲ミシンにも、ありがとう! |
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ところが、喜んでばかりいられないことが持ち上がりました。浩之氏に重大な病気が見つかったのです。直径約8cmの脳腫瘍でした。最も困難を極める脳手術。成功の望みは高くありませんでした。
そんなとき、EMは体にいいものと知っていた浩之氏。毎日奥様が持参されたEM・Xを飲み続けました。いいお医者さんにも恵まれました。「主治医が、土日祝日など例外なく毎日来てくれたんです。3ヶ月の入院中、元旦と2日だけでしたね、見えなかったのは・・・有難かったですね。当時は実父も健在で、みんなで心配してくれました。親は信心深い人たちでした。神仏のご加護もあったと思います。それほど自分が助かったのは不思議だったのです」と言う浩之氏。45時間にも及ぶ大手術。輸血量は6リットル。しかし、腫瘍が摘出されたのは3分の1でした。そして、2回目の手術。絶対に直したいという医者の思い、家族の思い、それ以上に働いた様々な力が、奇跡を起こしました。2回目は21時間で2リットルの輸血で、すべてが摘出されたのです。
奇跡の生還を果たした浩之氏。目に見えない力をすごく感じるようになったといいます。そして、毎日感謝を忘れずには過ごせないといいます。元々、サラリーマン時代、勤めていた製薬会社が道徳を重んじていました。そこで、モラロジーの研修に何度も参加した浩之氏。人間は支え合って生きていくこと、だから社会に貢献していきたいという気持ちは人一倍持っていました。靴下産業にも貢献したい。日本の靴下をもう一度復活させたいという思いをずっと持っていました。
そういう思いを持って仕事していると、そんな同じ思いを持つ人たちとの出会いが多くなったといいます。それは、お客さんに対しても同じとのこと。「儲けようと、そればかり考えているとお客さんからのクレームが多くなるんです。不思議とお客さんも、同じような思いの人が付くようになるのですね。人から取ることばかり考えているお客さんばかりだと、当然クレームも多くなるのです。しかし、こちらがお客さんに喜んでもらいたいという思いで、儲けよりも誠意を優先していると、不思議とお客さんに感謝されるようになるんですね・・・。いいお客さんばかりが付くようになりました。本当に感謝です」(浩之氏)
さて、浩之氏と出会った人々の一人が弊社プレマ株式会社の代表、中川信男。不思議人間とも評される代表の中川ですが・・・?すっかり意気投合してしまった二人。早速、プレマでも靴下を・・・ということで、杉山ニット工業さんの靴下は弊社人気定番アイテムのひとつになってしまったのです。(皆様有難うございます!!!)そして、今年、まさか・・・の新しい企画が実現に!それが御足!!
二人の出会いがなかったら実現しなかったかもしれません。
「中川さんからいろいろなご提案をいただきまして、それがなかったら『御足』は実現しなかったと思います」(浩之氏)
御足にたどり着くまで、杉山ニット工業さんでもたくさんの出会いと物語があったのですね・・・。
杉山浩之氏にとっても、御足は「日本の靴下産業の再生と新しい文化の誕生」という大きな夢が託されたかけ。そして、EMとの必然的な出会い、病気の克服・・・と、それは、まさに「EMでいい靴下を造って世の中の人々に喜んでもらいなさい」という浩之氏への神様からのメッセージのようにも思えます。
家族愛、人に尽くす真心・・・ものづくりを通して見えてきたもの。それが御足を通して、日本全国に広がっていったら・・・。神様からのプレゼントのように。
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