生命あふれる田んぼのお米

農薬不使用・無化学肥料米。雑草と競い合って生き抜いた、とにかく元気なお米です!

現地直撃レポート!!その3

「生命あふれる田んぼのお米」が誕生するまで

氾濫がもたらした肥沃な土壌


加護坊山から眺めた蕪栗沼

私たちは、小野寺さんに連れられて、まず、360度の大パノラマが広がる加護坊山に登りました。山頂からは栗駒、船形、蔵王の山々や蕪栗沼、はるか太平洋を望むことができます。雁がふだん飛ぶ高度と加護坊山から見る高さが同じとお聞きしました。遠くからでも湖沼が光ってエサ場がよく見えます。雁はこの山頂と同じ高さから、田尻の自然を見ているのだそうで、「へーッ こんな景色を見ているのか」って、なぜか嬉しくなりました。こんなにあこがれるんですから、人間も自由に飛べたときがあったのでしょうね、きっと。

大崎市田尻は宮城県の北部、仙台よりさらに北へ車で約1時間の所に位置する穀倉地帯にあります。 江戸時代以前に、伊達藩のお米の生産地として開拓されたこの地域は、両側の丘陵に挟まれ3本の河川が流れ込む湿地帯で、昔から河川の氾濫が頻繁に起こりました。その為、沼が多いところです。現在では河川が整備されましたが、氾濫のおかげで土地が非常に肥沃で、美味しいお米が作れます。

いのちあふれる田んぼのお米


冬期湛水水田で休む白鳥

小野寺さんたちが子どものころは、田んぼは湿田だったため冬も水を張っているのが普通で、下駄に刃を取り付けたスケートをして遊んでいました。しかし増産のため冬場の田を乾かす乾田化が主流になりました。田起こしに機械が入りやすいようにするためです。

収入は増えました。一反当たり玄米換算で11俵以上取れます。小野寺さんもそのような米作りをしていた時期があります。 しかし、お金と引き換えに、この土地の大切な財産を失ってしまいました。それは、自然との共生のなかではぐくまれる豊かな自然です。昔のようにするにはどうしたらよいかと考え、冬期湛水(たんすい)水田の取り組みをはじめたのです。

冬期湛水で増え続ける微生物

「はじめは田植えのときに機械が沈まないようにと、雁が北へ向けて発ってから一旦、田を乾かしていました。しかし、水をいれたままのほうが良いということがわかり、そのまま田植えをするようになりました。不耕起でも冬期湛水ならば普通の田植え機械でできます。水を張ったままだとラン藻、サヤミドロ(映像とリンク)が窒素を固定するので翌年の肥料になります。化学肥料を断ち切ると微生物などの生き物の利用法がいろいろあることに気づきます。」

小野寺さんは仲間と「自然環境共生会」を作りました。今では米作りの仲間が60名になりました。田と川がつながっていないので、田の中に池を掘って稲刈りで水を抜いた時の生き物の避難場所もつくっています。

江戸時代の人は“発芽玄米”を食べていた


「キャロット」の皆様と一緒に玄米の
試食会を行いました。写真は、私が握
った”玄米おむすび”です。 おむす
びは三角、丸いのがおにぎりと言うの
だそうです。神様との縁を結ぶ意味が
あると初めて知りました。 (「キャ
ロット」は、大王商会が経営する自然
食品のお店です。)

ご存じのように、玄米を鍋で炊いただけでは硬く食べにくいものです。消化力の強い方は良いでしょうが、弱い方は消化されずにそのまま出てきてしまう方も多いのではないでしょうか。

江戸時代中期までは、日本人は玄米を食べていました。では今から150年位前までの人々は食べにくい玄米を無理して食べていたのでしょうか。
小野寺さんは違うと言います。当時は一晩水に浸し、発芽玄米にして食べる智恵を普通に持っていたようです。その後、米を棒でついて、精米して食べることが流行りました。玄米と比べておいしかったのでしょう。しかし、その結果、脚気などの問題が発生するようになりました。

芽が出た米は急速にエネルギーを失う

雁についても同じことがいえるようです。田尻沼でも暖冬の年があります。その年の稲は冬眠からさめ、田んぼで芽が出てしまいます。米は芽を出すと持っているエネルギーが急速に失われていきます。その年の雁はシベリアへ帰る力が弱くなるそうです。

そのような自然の営みを農家の人々はつぶさに観察しています。豊かに生きるとはどのようなことか。小野寺さんは言います。「米作りは第一に自分たちの問題としてとらえます。農薬についても、なんでもそうですが、自分たちのために、この生活環境をいかに守っていくかを考えることが、ひいては日本や世界のあり方につながっていくんです。」

生き物であふれる沼


腰丈まで育った稲を見てください。

子供の頃、小野寺さんは探検と称していつも田尻沼で遊んでいたそうです。深いところでも腰までの深さしかなく、安全です。そこには生き物があふれていました。その自然を田にも応用しようと考えたのです。冬季の湛水(たんすい)により、水田が光るので、エサを求めてたくさんの鳥たちがやってきます。フンにより有機質が増えます。
冬に田の土を乾かした場合、100匹の生物は次の春10匹に減ってしまいます。ところが、水を張った場合、100のうち半分は生き残ります。そしてその次の春は50からのスタートになります。10からスタートするのとは生物の数がまったく違ってきます。

水藻もたくさん残ります。酸素が増え、たくさんの生き物が繁殖します。それらの変化を、小野寺さんたちはトンボの数が増えることなどで、すぐに確認できるわけです。

“稲”は湿地帯植物の中で、もっとも強い


湿地帯植物の中では一番競争力が強いものだけが生き残れます。私は稲が他の植物と比べて弱いものだと思っておりました。しかし、稲は十分に生き残っていける強さを持っているのだそうです。どのように稲を育てるかによって、生命力、競争力がまったく違ってきます。

ビデオにありますように、田んぼに手を入れるとたくさんの藻が手にまとわりついてきます。サヤミドロです。酸素が少ないとアオミドロが発生します。アオミドロも大切なのですが、それ以上に良いのがこのサヤミドロです。酸素を蓄え、生き物が多くなります。

近隣の田んぼと比べるとよく分かります。私たちが田んぼに入っている写真をご覧ください。稲の高さが腰のあたりまであります。そして、色が濃く青々としています。小野寺さんの稲穂の中を開いてみると、稲は乳熟期で、乳のような液が出てきます。乳熟期から糊熟期を経て、立派な米になります。この状態なら今年も大丈夫、立派な稲が出来るそうです。
近隣の田の米も拝見しました。小野寺さん稲とくらべ、2/3らいの丈で、黄色っぽい色をしてとても貧弱に見えます。受精していない米の割合が非常に多いことが分かりました。