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それは明治時代、長閑なある年のことでした。
元旦、九州久留米の水天宮に薬問屋江鳩博愛堂の江鳩政次郎が初詣に行きました。めでたくお参りをすまし、帰りがかったときのこと、境内の梅の木の根本になにやら大きな荷物が置かれています。何だろうか?」と、よく見ると、荷物と見えたのはうずくまっていた老人でした。するとおじいさんは、すっかり弱った声で、「もう食べるものを買うお金ものうて、動けませんのじゃ」と言いました。
正月なのに気の毒なこと、と思った政次郎は、持っていた財布を渡して、「さあ、これで正月を過ごしなされ」と言ったのでした。
老人は紙切れを出して、「それでは相済まぬ。これは家に代々伝わる薬の処方箋だが、これしかお渡しするものがない」といいます。
「いいんですよ」と断っても老人は「受け取ってくれ」といってききません。「ありがとう」と受け取ると、安心して喜んでくれたのでした。政次郎は家に帰り、処方箋通りに飴を売り出すことになりました。
当時は、「漢方薬のど飴天與」として売り出され、九州から四国、中国地方にまで人気を博し、一時の黄金時代を築いたのでした。
「天與のど飴」は大正、昭和と順調に生産されていましたが、戦後、新薬が売り出されるにつれ、あれほどの人気も薄れていき、後を継ぐ者もいないまま、時代が平成に変わる頃には「天與のど飴」の生産も中止されていました・・・・・。
平成十年頃、政次郎の曾孫の夢枕にひいおばあさんが現れて、しきりに「枯れ木に水をやりなさい」といってきます。「枯れ木に水をやって・・・」と。「枯れ木とはどの木?何の木?」と聞く前に夢が覚めてしまったのです。
そんな夢を何度か続けて見るので、不思議な夢を見るものだと、その話が親戚中の話題になりました。その夢の意味を考えていたひいおばあさんの娘のおばあさんが言うには、「それはねえ、天與のど飴のことではないかしら? ご先祖様がこの不思議な縁で授けられたのど飴を、また世の中に出すように言っているんでしょう?」
そこで、孫や曾孫が集まって素人ながらその「のど飴」を健康食品として復興したのでした。のど飴は、数種類の和漢植物のエキスを、水飴に練り込んだシンプルなものです。そして、感謝の気持ちをあらわして「天恵」を冠して「天恵天與」と名づけ、再びこの世に登場したのです。
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