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輸入元:朝倉様よりの寄稿です
私とオリーブオイルとの出会い 朝倉玲子
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私がイタリア家庭料理の修行に訪れた南イタリアのとある街。オリーブオイルとの出会いはそこから始まった。ツテもない南イタリアで自力で修業先を探していた私は、ひょんなことからアグリトゥリズモの存在を知る。
農家が営む宿泊施設で、自家製の農作物やワインなどで客をもてなすアットホームな民宿である。私はここで現地の家庭料理を学ぶことになった。初めて知る南イタリアの家庭料理の味はみるもの、食べるもの全てが珍しく、レストランのメニューでは見つけることのできない素朴で且つ日本人の舌にあうおいしい料理がそこにはあった。
シニョーラ(奥さん)のつくる料理はとてもシンプルでさほど難しいテクニックもいらない。しかし料理を食べすぐ気付いたことに素材のすばらしさがあった。特にオリーブオイルのおいしさである。その街はイタリアでも有数のオリーブの大産地でありそのアグリトゥリズモでもオリーブを栽培、自家製のオリーブオイルである。
シニョーラはその自家製のオリーブオイルを惜しみなくこちらが驚くほどたっぷりと全ての料理に使うのである。
私はこのように修行先でイタリア家庭料理のすばらしさはもとより、オリーブオイルのすばらしさを知り、どんどんそれにのめり込んでいったのである。
それからは料理もそこそこ行く先々の修業先をオーガニックの作物を作るアグリトゥリズモに決め、またそれがオリーブ農家であったのはいうまでもない、南イタリア各地を転々とすることになる。
行く先々ですばらしい料理人そしてオリーブオイルに出会い私はイタリア家庭料理の真髄を知ると共に彼らイタリア人の食文化に触れ改めて食ということを考えさせられた貴重な体験となった。
素朴な飾らないそれらの料理を知ると共にプロフェッショナルな料理人はいかにオリーブオイルを駆使するのだろう、知りたい・・・プロの料理人でない私がもってはならない希望をいだくようになる。
南イタリアでは希少なミシュラン三ツ星レストラン・ドンアルフォンソの門を気がついたら叩いていた。運良く紛れ込んだ厨房は想像を絶するものであった。とうに30道を越えていた私には過酷な7ヶ月間であった。
しかし一流の料理人の作る料理は自家菜園の新鮮な野菜とオリーブオイルが主役であったのである。
私は各地の料理を学びながらその土地土地のオリーブ農家・製造所を巡ることになる。そこで何人かのすばらしい農業者にも出会った。イタリア人の有機農業に対する考え方やオリーブ作りに対する考えなどは日本での有機農業の経験もある私としては非常に興味深いものであった。実際に畑での作業も共にし少しずつオリーブオイルについてわかってくると共に、日本のオリーブオイル市場の現状を考えさせられていったのである。
日本でもかなりの数のオリーブオイルを手に入れることができる。しかし今まで満足できるものがあっただろうかと。オリーブオイルについてまだよく知らない人々はこれだけの種類の中からどのように一本選ぶのだろうという疑問が湧いてきた。品質・味がよく安全で、適正な値段のものを一般 の人が安心して買えるオイルを私がセレクトしようと思うようになるまで時間はかからなかった。
いいオイルがあると聞くと、私は出かけ実際に畑を見、歩いて、そして生産者と話をする。オイルのこと彼らのつくる料理を見、食事を共にし生活を垣間見る。そのようにして私は生産者と向き合ってきた。
多くの生産者と知り合い色々なオイルを見て味わってきたが私が納得できるオイル、生産者に出会うまで相当の時間がかかってしまったのである。安全性やオイルの質、そして生産者の人間性に一つでも疑問があったら恐くて取引する決心がつけなかったからです。
ジョバンナ一家との出会いは私にとって本当に幸運だった。オイルはもちろん彼ら一家の人柄にほれ込んでしまったのです。
彼らは自分達の栽培するオリーブ果 実だけを製品にしている極々小さな農家です。彼らはビジネスがらみのホスピタリティではない(そういうところがほとんどだった)心から私を受け入れてくれた。広報係の嫁のジョバンナさんと私は意気投合し、私はオリーブ果 実のこと、栽培、収穫、製造のことすべてを確認チェックする為、二年間にわたり彼らとお付き合いすることとなった。夫のサルバトーレは農業大学で学位 も取った秀才である。自分のこだわりオリーブオイル作りのために私に淡々とそれを説く物静かな農業者。また彼の両親も健在で父ジュゼッペは私を自分の孫のようにかわいがってくれオルチョ・サンニータのふるさと、ベネベントの気候風土や歴史を教えてくれる。お母さんのジュゼッピーナはもっぱら料理担当、私が行く度に自慢の料理を、そしてオリーブオイルのおいしい食べ方や保存食の方法を教えてくれる。
何代も続いてきたオリーブ専業農家である彼らであるがここまでくるのに相当苦労したそうである。
毎年毎年変動し、買い叩かれるオリーブの価格に本当に困り果 てていた。いくら手塩にかけても年一回の収穫で農協に売り安定しない生活に不安を覚えていたそうです。ジョバンナさんが嫁に来てそんな状況を何とか出来ないかと考え始め、幸い無化学肥料栽培しており、これをもっとアピールできないかと彼女は考え始めたそうである。農家の出でない彼女は子供が生まれるまで小学校の先生をしていたそうである。非常に頭のいいアイデアウーマンである彼女はオーガニック製品として価値ある商品をその価値のわかる人々に売っていきたいと思うようになったそうである。
それからは3年の認証審査期間を経て‘96年晴れてイタリアのオーガニック認定製品となる。しかしそれからも販売に苦労したそうである。実際南イタリアは経済的に貧しく、オーガニックというものに対して鈍感であること、通 常のオリーブオイルより高価であることなどで思うように売れなく、結局残りは農協に売りさばくしかなかった・・・と。
それからはローマ以北を中心に自分の足で営業をし、販路を開拓していったそうである。現在はローマの自然食品店、後は消費者に直売しているとのこと。
このような経緯は米を作っていた経験もある私としては共感でき、何とか彼らの力になりたいと、製品が確かであるのでこのオルチョ・サンニータこそ私の探していたオリーブオイルであると、輸入を決意することになります。
イタリアに渡り、オリーブオイルに惹かれ、私だけでなく日本の人々に本物のオリーブオイルを知って頂きたい、味わっていただきたいとの思いからオルチョ・サンニータと出会い、今それを生業として生まれ故郷会津若松に帰り自宅の六畳間をオフィスにただいま奮闘中です。
このオルチョ・サンニータの裏にあるストーリーを少しでも多くの方に知っていただき、そしてお金を出して買うことで彼らのつくるオイルのすばらしさを知っていただけたら・・・イタリアと日本が一つに繋がる。
国際交流などと言われますがこんなことから草の根レベルでの国際交流ができるのではないでしょうか。
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昭和39年9月会津若松生れ。
昭和58年山脇学園短期大学家政科卒業 読売情報開発センターに就職、昭和61年退職後ケイタリングサービス612に入社。ここで自然食を学ぶ。
仕事の内容は自然食中心の料理を作り、パーティ会場に運搬、セッティング、サービスまでを行う仕事をする。
1990年より千葉県我孫子市で有機農業に従事、約四年半米、野菜中心の農業を体験する。
1996年よりイタリアに渡る。南イタリアの農業、食文化に興味をもち、その研究のため。
プーリア州・カステラーナ
シチリア州・シャッカ
カンパーニャ州・ナポリ
サルデーニャ州・カブラス
南部を中心に4ヶ所のアグリトゥリズモにて働きながら郷土料理・家庭料理を学ぶ。
※ アグリトゥリズモとは・・農家が空いた部屋をトゥーリストに提供、自家菜園で取れた農産物やワイン等でもてなす宿泊施設のこと。
1998〜99年 ソレント郊外の山の上にある南イタリアでは希少なミシュラン・三ツ星リストランテ・ドン・アルフォンソで働く。
2000年3月、リグリア州オリーブオイル鑑定技能講座に出席。オリーブオイル全般、官能検査法を学ぶ。
2000年5月、初荷が会津若松市に到着、オルチョ・サンニータの販売を開始する
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