
只今、バリ在中。インドネシア・バリ島と日本とを忙しく行き来する、突撃隊長山下♪
今回はスラバヤからのレポートです!! |
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早朝のデンパサール空港。こんなに小さい飛行機に乗るのは生まれて初めて・・・ |
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インドネシアの人々への恩返しをするためにアンビコ社を創設した石井正治氏 |
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農園に到着。ここから先はひたすらアシタバなのだ〜! |
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インドネシアの山奥にそびえる有機JASマーク! |
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見渡す限りのアシタバ畑。高地なので涼しい! |
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「2005年からアシタバを栽培するタキムさんの畑」という表示 |
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農園で働く女性たちのまぶしい笑顔。こちらまで幸せになってしまいます♪ |
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僕は4歳。お母さんと一緒に毎日通うアシタバ畑が遊び場です |
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アンビコ社のヘンリー社長とアシタバの天ぷらでティータイム♪ |
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アンビコ社のヘンリー社長とジョハン工場長。故・石井氏の想いは確実に生き続けています |
バリ島から太陽を追いかけること1時間。朝の7時にデンパサール空港を出発した飛行機は、ちょうど一時間かけて、先ほどと同じく午前7時を迎えたばかりのスラバヤ空港に降り立ちました。そう、インドネシアは横にずらーっと長く島々が並んでいて、ひとつの国なのにタイムゾーンが3つもあるのです。
バリ島と、インドネシア第二の都市スラバヤのあるジャワ島の間にも1時間の時差があるため、初のスラバヤ取材は若干時差ぼけムードで始まりました。
今回訪問したのは、スラバヤ近郊で有機作物を生産・加工するPT.AMBICO(アンビコ)社。創設者は日本人の故・石井正治氏で、現在は石井氏の次男ヘンリー氏が社長、孫のジョハン氏が工場長を務め、故人の生まれ故郷である海の向こうの日本にインドネシア産の安全な食品を出荷しています。
太平洋戦争のさなか、陸軍准尉として東南アジアを南下した石井氏は、インドネシアで終戦を迎えました。無念の敗戦直後、当時率いていた部隊の隊員50名を引き揚げ船に乗せることを条件に、自らは人質となってインドネシアの地に残りました。
日本国の撤退後、再侵略を謀るオランダ軍を相手に、石井氏はインドネシア軍の兵隊として独立戦争に参加。その後も日本国に戻ることが叶わず、異国の地で波瀾万丈の人生を全うした、いわゆる「残留元日本兵」のひとりです。
「私が交渉に乗り込んだが、結局、人質となり両わきから銃を突き付けられ、そのまま海岸から引き揚げ船が出ていくのを見送ったんです。」…(石井正治著『南から』)
石井氏が晩年、第二の祖国インドネシアに対する感謝の想いを込めて取り組んだのは、インドネシアに自生するこんにゃく芋を使った「こんにゃくの製造」でした。
今回私は、「こんにゃくプロジェクト」に秘められた石井氏の生涯最後のロマンの軌跡を追い求めてスラバヤを訪れましたが、アンビコ社が栽培するアシタバ農園の一角でも数年前からこんにゃく芋を栽培し始めたとのこと。それならば一度で二度美味しい取材にしてしまおうということで、弊社のアシタバ粉末の原産地農園の様子を見学できることになりました!
スラバヤ空港から車で1時間半は走ったでしょうか。赤れんがと割れ門が象徴的なバリの田舎風景とはずいぶん違う町並みを通り過ぎて、車はぐんぐん高地へと移動していきます。
アンビコ社の農場は、国が管理する公園の一角にあって、一般観光客は入場料を支払う必要がありますが、農場に行く私たちはそのままスルー。そこから先の崖道は、「きっと今日は落っこちない♪」「今日も精一杯悔いなく生きましたか〜?」とみんなで顔を引きつらせながら無理矢理冗談を言い合うという、結構緊張した車内の雰囲気を作り出していました。
崖道を数分走った後、少し開けた場所にでて、そこから先は徒歩。とはいえ5分ほどのトレッキングですから先ほどの緊張感と比べたら至って快適です。途中様々な野草が自生していましたが、現地の植物の知識がなくて少し残念に思いました。
そうして到着したのが、アンビコのアシタバ農園!そう、この看板は紛れもなくアシタバページで皆様に紹介しているあの看板です!なんだかすごくうれしー!
アシタバの名前の由来は、「夕べに葉を摘んでも明日には芽が出る」ほどの生命力だと聞いていますが、さすがに「明日には」とはいかずとも、農家の人たちは、「一週間もすればまた収穫できるから、アシタバの栽培は本当に楽しい」とニコニコ顔。元々は牛の飼料となる野草が自生していただけの地域だっただけに、2005年の農園化は地元の人々に心から歓迎された様子でした。
山下:「ここで農作業を始めるまでは何を?」
女性たち:「家にいて家事をしていました」
山下:「働き始めてから、生活は変わりましたか?」
女性たち:「すごい大変化です!」
山下:「お給料は主に何に使ってるの?」
女性たち:「主に子供たちの教育にあてています」
山下:「大きな買い物は?」
女性たち:「土地や山羊、車を買う人もいますよ」
山下:「じゃあ、ここが農地になってよかったのかしら?」
女性たち:「もちろん!仕事があることがとても嬉しいです」
元々は、畑仕事をする旦那さんを送り出してからはずっと家で家事と子育てをしていた女性たちが、今は毎日アシタバ畑で生き生きと仕事をしています。
農作業ですから、大変なこともあるだろうと思うのですが、彼女たちに聞いても文句や要望は何一つないとのこと。強いて言えば、「早くこんにゃくも収穫したい」ということだけ。こんにゃくは最低三年は土の中で育てないといけないので、アシタバのように、「はい、明日!」というわけにはいかないいのです。
それでも、こんにゃくの種芋を植えてすでに二年。来年くらいからはまたさらに収穫が増えそうなので、ますますみんなの表情はほころびます。
たとえ少しずつでも、私たちがこうしてお届けする商品が、彼女たちの笑顔の源泉になっているとしたら、こんなに嬉しいことはないなとつくづく思いました。
現在アンビコ社は、主にこんにゃく芋の確保について中国系の法人の乱獲に頭を悩ませているとのことでした。今回の視察のように特別な場合に限らず、できるかぎり頻繁に農園に出向いて人々とのコミュニケーションをはかることで、生産者と管理者という関係を超えた人と人とのつながりを深めていきたいと、同行いただいたアンビコ社のヘンリー社長はおっしゃいます。
「異国から来た敗残兵にもかかわらず、長年お世話になったインドネシアの人々に恩返しがしたい」という想いを胸に故・石井氏が設立したアンビコ社。時代がどれだけ移り変わろうとも、故人のその心はこの先もずっと人々の心に生き続けてほしいものです。
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